スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2009年03月30日

第25話「ことばメッセージが最高の見舞」

2005.2.7

「ことばメッセージが最高の見舞」

病院に入院していると、お見舞客をよく目にする。

ちょうど目の前の入院患者には、よく見舞客が来ていた。

手には見舞の品や、花束やお金やありとあらゆるものを手にしながら来ていた。

中にはあまり好きではない人や、病気を聞きつけて、何の病気だろうと、さぐりを

入れに来ている人もいたそうだ。

世間の付き合いや、しきたりで来られても迷惑なだけだ。

ましてや、こんな風な物を持って来るのは、何も意味がないと感じるのだ。

そんな中、私の元へは、毎日夕食にと、その日のトゥデイズレシピのランチや

ディナーが届けられ、皆のライトメッセージが同じく届けられていた。

これが最高の見舞だった。

日々、仲間が愛情込めて作っている食事を口にしながら、共に一緒にいれる幸せや、

ライトメッセージを通して、今いる我々との仲間とのコンタクトが出来るからだ。

体が目の前に来ているということでなく、どんなメッセージが届けられているかどうかだと思った。

今、自分が書いているメッセージが、誰かを力づける。

それは見舞の為でなくても、日々色んな人を意図にいるということは、人々を見舞って

いるのと同じなのだ。

私達のBIRTHDAYと同じ物をおくるのでなく、ことばを届ける。

それは、たとえ物であっても、そこにことばがメッセージがあるかないかの問題だ。

とにかく、私は、この皆のことばに支えられていた。

このことばによって生かされて来た。

ありがとう。
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2009年03月23日

第24話「女とは?男とは?」

2005.2.6

「女とは?男とは?」

今回の私のガンは、子宮ガンであって、これは女性のみしかかからないガンだ。

それでもって、私は手術でその子宮の全てを切除したわけだ。

そうなると、女性でもなく、男性でもなく、現象としては、中性になってしまった。

日頃全く意識の中にすらなかったことだが、いざ無くなるということに直面した時、一瞬自分が

動揺してしまったのだ。

自分が女性として完全でなくなることへの反応だった

逆をかえしてみれば、女ということにこだわっていないと思っていたが、女であることに一番

へばりついていたのかもしれない。

よく世間の迷信で言われる女の幸せは、結婚をして、子供を産んで。

とか言われるが、自分には全く関係がないと生きてきたが、いざやらないのではなく、

できなくなる という現象が目の前にくると、動揺してしまったのだ。

人間はここぞという現象が目の前にくると、自分のアクトがそのまま出てくるというが、まさに

その通りだ。

自分が試されるのだ。

どう生きているのかと!


これは女であるとか男であるとかいう小さな問題ではない。

自分がどう生きるかと宣言していることが、

我レベルなのか、本当に人類に目が向いた我々レベルのことなのか、自分自身の問題である。

自分が、自分の思い、自分の物にへばりついたところから、ちょっと冒険しようとしているのか、

自分なし に生きたところから、人類に立場をとっているのか、

本物と偽者(メッキ)かがわかれてくる。

女でもなく、男でもなく、人間とは、人とはどう生きるのか
目覚めた瞬間でもあった。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2009年03月16日

第23話「無事生還する」

2005年2月5日

「無事生還する」

遂に、ガンの治療を終え、退院を迎えることが出来た。

あと放射線治療は残っているが、これは数日間入院をして様子を見たので、

後は通院ですむ様ようになった。

何よりも抗ガン剤と、手術をしたことで、全てガンは取り除かれて転移もないということに

なった。

ガンが発見されてから約3ヶ月半、このガンという現象から、ものすごい真実のエネルギーが

動いたことを感じる。

それは、自分ひとりが戦ったということでなく、この現象が我々のエネルギーのことなのだと、皆が一緒にいてくれたことだ

突然のことで、現場を全て手放し、そして皆に依頼し、その中ですごい大きな動きもおきてきている。

この早さで完治できたということは、我であれば不可能なことだと痛感する。

そして、これは、全て必然であり、我々にとって必要なことだったのだと思う

今、こうやって病院から出て、我々家族のスペースに居られるありがたさを身にしみて思い、

何よりもこの必然なる現象に突破を創り出すと、志新たに思う。

このガンは私にとって、最大のコーチだ

「ことばがすべて」これを、名実共に証明する為の大きなステップだったのだ。

今、ここに自分が存在する。

それは、誰の為、何の為なのか。

まさに我なし、ことばそのものとして生きる宣言をする日だ。
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2009年03月09日

第22話「初の手術体験記」

2005年1月26日

「初の手術体験記」

朝6:00頃から、手術の準備に取り掛かる。

まずは、2粒の安定剤の様なものを渡されて飲み、その後は浣腸をして、腸の中を綺麗にした。

しばし一休みをしたら、手術服に着替え、足のサポーターをして、いざ8:15頃から手術室へ入った。
 
入ってまず、麻酔を背中に打たれ、その効き具合をみながら、口からの麻酔をしたとたん、記憶がない。

その間4時間半ぐらい。

目覚めたのは、「松田さん、終わりましたよ。」と言われた一言で、意識が戻ってしばらく。手術の

部屋の横の部屋でしばらく待機!

この時に、なぜか肩がたまらなく痛く、手術中に妙に力が入っていたのか、血液が寄っていたのかは

不明だが、とにかくそれはたまらなかった。

でも、最初の第一声は、「お腹がすいた~。」だった。

これは、無事手術が終わったシグナルなんだろうと自分で思いながら、下半身は麻酔がまだかかった

ままだが、胃のあたりまで、すっかり正気だ。

しかしながら、ガスが正常に出るまでは食べるものはおろか、水さえも飲めないのだ。

人によっては4日間位!

今回の手術は、子宮ガンの手術の中でも一番大きい手術で、大変な手術だ。

前にさんざん言われていて、輸血も必要になるからとも言われていた。

逆にあと10kg太っていたら、手術さえも出来なかったらしい。

そんな中、比較的予定通り、輸血も必要になることなく、大成功で手術が終わった。

おへその上から、下までお腹をパックリあけて、取ってしまったということだ。

これだけの大手術が難なく終えられたのは

皆からの思いというか、エネルギーに支えられていたからだと改めて実感する

ありがとう。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2009年03月02日

第21話「同意書をめぐるいろいろ」

2005.1.20

「同意書をめぐるいろいろ」

今回の手術の為の入院で、新たなことが見えてきた。

それは、同意書についてだ。今回だけではないが、病院ではよく同意書を書かされる。

入院、外出、看護方法など色々だ。

今回であれば、麻酔を使用する事。輸血を使用する事。そして最大は手術に対しての同意書だ。

ほとんどのものは、本人のサインでいいのだが、この手術に関しては親族のサインまで必要なのである

今回は、専務や皆のサポートもあり、姉にはこの同意書の説明や、手術には立ちあってもらわなかった。

だから同意書の所には、一緒に説明を聞いてくれた、田栗幹子のサインが書かれている。

それで手続きが終わっていたのだが、

術後は、「お姉さんに来てもらわないと困る。」だの、

「同意書にやっぱりお姉さんのサインがないと、本人が良くても病院側は、困る。」等々を言い出すのだ。

我々から見れば、はるかに姉よりも、我々の仲間の方が親族であり、家族なのだが、どうも世間は

血が繋がっているかいないか、これしかない。

全く不信から生きていれば、法律だの契約だのと何かしら形としてあるのでつくられた、繋がりを

利用するしかないのだ。

これが信頼ある人間関係の上に成り立つとするなら、こんな法律や契約での関係にとどまらず、

人間同士の繋がりであり、信頼関係が築けることを、私達が今、証明できる立場なのだと実感する。

我々家族がどういうものなのか!

これは我々に生きる、人間のみができる崇高なFamilyだ!  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記