松田幸和子の告白
https://sawako.yoka-yoka.jp
NAGAIトークスタジオの会話力インストラクター松田幸和子の体験記。明るく無邪気な性格で、どんなピンチも切り抜ける!さわやかサワちゃんのエピソードが今明かされる。。
ja
NAGAIトークスタジオ
2009-03-30T08:00:00+09:00
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第25話「ことばメッセージが最高の見舞」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e220631.html
2005.2.7
「ことばメッセージが最高の見舞」
病院に入院していると、お見舞客をよく目にする。
ちょうど目の前の入院患者には、よく見舞客が来ていた。
手には見舞の品や、花束やお金やありとあらゆるものを手にしながら来ていた。
中にはあまり好きではない人や、病気を聞きつけて、何の病気だろうと、さぐりを
入れに来ている人もいたそうだ。
世間の付き合いや、しきたりで来られても迷惑なだけだ。
ましてや、こんな風な物を持って来るのは、何も意味がないと感じるのだ。
そんな中、私の元へは、毎日夕食にと、その日のトゥデイズレシピのランチや
ディナーが届けられ、皆のライトメッセージが同じく届けられていた。
これが最高の見舞だった。
日々、仲間が愛情込めて作っている食事を口にしながら、共に一緒にいれる幸せや、
ライトメッセージを通して、今いる我々との仲間とのコンタクトが出来るからだ。
体が目の前に来ているということでなく、どんなメッセージが届けられているかどうかだと思った。
今、自分が書いているメッセージが、誰かを力づける。
それは見舞の為でなくても、日々色んな人を意図にいるということは、人々を見舞って
いるのと同じなのだ。
私達のBIRTHDAYと同じ物をおくるのでなく、ことばを届ける。
それは、たとえ物であっても、そこにことばがメッセージがあるかないかの問題だ。
とにかく、私は、この皆のことばに支えられていた。
このことばによって生かされて来た。
ありがとう。
2005.2.7
「ことばメッセージが最高の見舞」
病院に入院していると、お見舞客をよく目にする。
ちょうど目の前の入院患者には、よく見舞客が来ていた。
手には見舞の品や、花束やお金やありとあらゆるものを手にしながら来ていた。
中にはあまり好きではない人や、病気を聞きつけて、何の病気だろうと、さぐりを
入れに来ている人もいたそうだ。
世間の付き合いや、しきたりで来られても迷惑なだけだ。
ましてや、こんな風な物を持って来るのは、何も意味がないと感じるのだ。
そんな中、私の元へは、毎日夕食にと、その日のトゥデイズレシピのランチや
ディナーが届けられ、皆のライトメッセージが同じく届けられていた。
これが最高の見舞だった。
日々、仲間が愛情込めて作っている食事を口にしながら、共に一緒にいれる幸せや、
ライトメッセージを通して、今いる我々との仲間とのコンタクトが出来るからだ。
体が目の前に来ているということでなく、どんなメッセージが届けられているかどうかだと思った。
今、自分が書いているメッセージが、誰かを力づける。
それは見舞の為でなくても、日々色んな人を意図にいるということは、人々を見舞って
いるのと同じなのだ。
私達のBIRTHDAYと同じ物をおくるのでなく、ことばを届ける。
それは、たとえ物であっても、そこにことばがメッセージがあるかないかの問題だ。
とにかく、私は、この皆のことばに支えられていた。
このことばによって生かされて来た。
ありがとう。]]>
癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-03-30T08:00:00+09:00
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第24話「女とは?男とは?」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e215338.html
2005.2.6
「女とは?男とは?」
今回の私のガンは、子宮ガンであって、これは女性のみしかかからないガンだ。
それでもって、私は手術でその子宮の全てを切除したわけだ。
そうなると、女性でもなく、男性でもなく、現象としては、中性になってしまった。
日頃全く意識の中にすらなかったことだが、いざ無くなるということに直面した時、一瞬自分が
動揺してしまったのだ。
自分が女性として完全でなくなることへの反応だった。
逆をかえしてみれば、女ということにこだわっていないと思っていたが、女であることに一番
へばりついていたのかもしれない。
よく世間の迷信で言われる女の幸せは、結婚をして、子供を産んで。
とか言われるが、自分には全く関係がないと生きてきたが、いざやらないのではなく、
できなくなる という現象が目の前にくると、動揺してしまったのだ。
人間はここぞという現象が目の前にくると、自分のアクトがそのまま出てくるというが、まさに
その通りだ。
自分が試されるのだ。
どう生きているのかと!
これは女であるとか男であるとかいう小さな問題ではない。
自分がどう生きるかと宣言していることが、
我レベルなのか、本当に人類に目が向いた我々レベルのことなのか、自分自身の問題である。
自分が、自分の思い、自分の物にへばりついたところから、ちょっと冒険しようとしているのか、
自分なし に生きたところから、人類に立場をとっているのか、
本物と偽者(メッキ)かがわかれてくる。
女でもなく、男でもなく、人間とは、人とはどう生きるのか、
目覚めた瞬間でもあった。
「女とは?男とは?」
今回の私のガンは、子宮ガンであって、これは女性のみしかかからないガンだ。
それでもって、私は手術でその子宮の全てを切除したわけだ。
そうなると、女性でもなく、男性でもなく、現象としては、中性になってしまった。
日頃全く意識の中にすらなかったことだが、いざ無くなるということに直面した時、一瞬自分が
動揺してしまったのだ。
自分が女性として完全でなくなることへの反応だった。
逆をかえしてみれば、女ということにこだわっていないと思っていたが、女であることに一番
へばりついていたのかもしれない。
よく世間の迷信で言われる女の幸せは、結婚をして、子供を産んで。
とか言われるが、自分には全く関係がないと生きてきたが、いざやらないのではなく、
できなくなる という現象が目の前にくると、動揺してしまったのだ。
人間はここぞという現象が目の前にくると、自分のアクトがそのまま出てくるというが、まさに
その通りだ。
自分が試されるのだ。
どう生きているのかと!
これは女であるとか男であるとかいう小さな問題ではない。
自分がどう生きるかと宣言していることが、
我レベルなのか、本当に人類に目が向いた我々レベルのことなのか、自分自身の問題である。
自分が、自分の思い、自分の物にへばりついたところから、ちょっと冒険しようとしているのか、
自分なし に生きたところから、人類に立場をとっているのか、
本物と偽者(メッキ)かがわかれてくる。
女でもなく、男でもなく、人間とは、人とはどう生きるのか、
目覚めた瞬間でもあった。]]>
癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-03-23T08:00:00+09:00
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第23話「無事生還する」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e208123.html
2005年2月5日
「無事生還する」
遂に、ガンの治療を終え、退院を迎えることが出来た。
あと放射線治療は残っているが、これは数日間入院をして様子を見たので、
後は通院ですむ様ようになった。
何よりも抗ガン剤と、手術をしたことで、全てガンは取り除かれて転移もないということに
なった。
ガンが発見されてから約3ヶ月半、このガンという現象から、ものすごい真実のエネルギーが
動いたことを感じる。
それは、自分ひとりが戦ったということでなく、この現象が我々のエネルギーのことなのだと、皆が一緒にいてくれたことだ。
突然のことで、現場を全て手放し、そして皆に依頼し、その中ですごい大きな動きもおきてきている。
この早さで完治できたということは、我であれば不可能なことだと痛感する。
そして、これは、全て必然であり、我々にとって必要なことだったのだと思う。
今、こうやって病院から出て、我々家族のスペースに居られるありがたさを身にしみて思い、
何よりもこの必然なる現象に突破を創り出すと、志新たに思う。
このガンは私にとって、最大のコーチだ。
「ことばがすべて」これを、名実共に証明する為の大きなステップだったのだ。
今、ここに自分が存在する。
それは、誰の為、何の為なのか。
まさに我なし、ことばそのものとして生きる宣言をする日だ。
「無事生還する」
遂に、ガンの治療を終え、退院を迎えることが出来た。
あと放射線治療は残っているが、これは数日間入院をして様子を見たので、
後は通院ですむ様ようになった。
何よりも抗ガン剤と、手術をしたことで、全てガンは取り除かれて転移もないということに
なった。
ガンが発見されてから約3ヶ月半、このガンという現象から、ものすごい真実のエネルギーが
動いたことを感じる。
それは、自分ひとりが戦ったということでなく、この現象が我々のエネルギーのことなのだと、皆が一緒にいてくれたことだ。
突然のことで、現場を全て手放し、そして皆に依頼し、その中ですごい大きな動きもおきてきている。
この早さで完治できたということは、我であれば不可能なことだと痛感する。
そして、これは、全て必然であり、我々にとって必要なことだったのだと思う。
今、こうやって病院から出て、我々家族のスペースに居られるありがたさを身にしみて思い、
何よりもこの必然なる現象に突破を創り出すと、志新たに思う。
このガンは私にとって、最大のコーチだ。
「ことばがすべて」これを、名実共に証明する為の大きなステップだったのだ。
今、ここに自分が存在する。
それは、誰の為、何の為なのか。
まさに我なし、ことばそのものとして生きる宣言をする日だ。]]>
癌ダンス日記
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2009-03-16T08:00:00+09:00
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第22話「初の手術体験記」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e203618.html
2005年1月26日
「初の手術体験記」
朝6:00頃から、手術の準備に取り掛かる。
まずは、2粒の安定剤の様なものを渡されて飲み、その後は浣腸をして、腸の中を綺麗にした。
しばし一休みをしたら、手術服に着替え、足のサポーターをして、いざ8:15頃から手術室へ入った。
入ってまず、麻酔を背中に打たれ、その効き具合をみながら、口からの麻酔をしたとたん、記憶がない。
その間4時間半ぐらい。
目覚めたのは、「松田さん、終わりましたよ。」と言われた一言で、意識が戻ってしばらく。手術の
部屋の横の部屋でしばらく待機!
この時に、なぜか肩がたまらなく痛く、手術中に妙に力が入っていたのか、血液が寄っていたのかは
不明だが、とにかくそれはたまらなかった。
でも、最初の第一声は、「お腹がすいた~。」だった。
これは、無事手術が終わったシグナルなんだろうと自分で思いながら、下半身は麻酔がまだかかった
ままだが、胃のあたりまで、すっかり正気だ。
しかしながら、ガスが正常に出るまでは食べるものはおろか、水さえも飲めないのだ。
人によっては4日間位!
今回の手術は、子宮ガンの手術の中でも一番大きい手術で、大変な手術だ。
前にさんざん言われていて、輸血も必要になるからとも言われていた。
逆にあと10kg太っていたら、手術さえも出来なかったらしい。
そんな中、比較的予定通り、輸血も必要になることなく、大成功で手術が終わった。
おへその上から、下までお腹をパックリあけて、取ってしまったということだ。
これだけの大手術が難なく終えられたのは、
皆からの思いというか、エネルギーに支えられていたからだと改めて実感する。
ありがとう。
「初の手術体験記」
朝6:00頃から、手術の準備に取り掛かる。
まずは、2粒の安定剤の様なものを渡されて飲み、その後は浣腸をして、腸の中を綺麗にした。
しばし一休みをしたら、手術服に着替え、足のサポーターをして、いざ8:15頃から手術室へ入った。
入ってまず、麻酔を背中に打たれ、その効き具合をみながら、口からの麻酔をしたとたん、記憶がない。
その間4時間半ぐらい。
目覚めたのは、「松田さん、終わりましたよ。」と言われた一言で、意識が戻ってしばらく。手術の
部屋の横の部屋でしばらく待機!
この時に、なぜか肩がたまらなく痛く、手術中に妙に力が入っていたのか、血液が寄っていたのかは
不明だが、とにかくそれはたまらなかった。
でも、最初の第一声は、「お腹がすいた~。」だった。
これは、無事手術が終わったシグナルなんだろうと自分で思いながら、下半身は麻酔がまだかかった
ままだが、胃のあたりまで、すっかり正気だ。
しかしながら、ガスが正常に出るまでは食べるものはおろか、水さえも飲めないのだ。
人によっては4日間位!
今回の手術は、子宮ガンの手術の中でも一番大きい手術で、大変な手術だ。
前にさんざん言われていて、輸血も必要になるからとも言われていた。
逆にあと10kg太っていたら、手術さえも出来なかったらしい。
そんな中、比較的予定通り、輸血も必要になることなく、大成功で手術が終わった。
おへその上から、下までお腹をパックリあけて、取ってしまったということだ。
これだけの大手術が難なく終えられたのは、
皆からの思いというか、エネルギーに支えられていたからだと改めて実感する。
ありがとう。]]>
癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-03-09T08:00:21+09:00
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第21話「同意書をめぐるいろいろ」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e201642.html
2005.1.20
「同意書をめぐるいろいろ」
今回の手術の為の入院で、新たなことが見えてきた。
それは、同意書についてだ。今回だけではないが、病院ではよく同意書を書かされる。
入院、外出、看護方法など色々だ。
今回であれば、麻酔を使用する事。輸血を使用する事。そして最大は手術に対しての同意書だ。
ほとんどのものは、本人のサインでいいのだが、この手術に関しては親族のサインまで必要なのである。
今回は、専務や皆のサポートもあり、姉にはこの同意書の説明や、手術には立ちあってもらわなかった。
だから同意書の所には、一緒に説明を聞いてくれた、田栗幹子のサインが書かれている。
それで手続きが終わっていたのだが、
術後は、「お姉さんに来てもらわないと困る。」だの、
「同意書にやっぱりお姉さんのサインがないと、本人が良くても病院側は、困る。」等々を言い出すのだ。
我々から見れば、はるかに姉よりも、我々の仲間の方が親族であり、家族なのだが、どうも世間は
血が繋がっているかいないか、これしかない。
全く不信から生きていれば、法律だの契約だのと何かしら形としてあるのでつくられた、繋がりを
利用するしかないのだ。
これが信頼ある人間関係の上に成り立つとするなら、こんな法律や契約での関係にとどまらず、
人間同士の繋がりであり、信頼関係が築けることを、私達が今、証明できる立場なのだと実感する。
我々家族がどういうものなのか!
これは我々に生きる、人間のみができる崇高なFamilyだ!
「同意書をめぐるいろいろ」
今回の手術の為の入院で、新たなことが見えてきた。
それは、同意書についてだ。今回だけではないが、病院ではよく同意書を書かされる。
入院、外出、看護方法など色々だ。
今回であれば、麻酔を使用する事。輸血を使用する事。そして最大は手術に対しての同意書だ。
ほとんどのものは、本人のサインでいいのだが、この手術に関しては親族のサインまで必要なのである。
今回は、専務や皆のサポートもあり、姉にはこの同意書の説明や、手術には立ちあってもらわなかった。
だから同意書の所には、一緒に説明を聞いてくれた、田栗幹子のサインが書かれている。
それで手続きが終わっていたのだが、
術後は、「お姉さんに来てもらわないと困る。」だの、
「同意書にやっぱりお姉さんのサインがないと、本人が良くても病院側は、困る。」等々を言い出すのだ。
我々から見れば、はるかに姉よりも、我々の仲間の方が親族であり、家族なのだが、どうも世間は
血が繋がっているかいないか、これしかない。
全く不信から生きていれば、法律だの契約だのと何かしら形としてあるのでつくられた、繋がりを
利用するしかないのだ。
これが信頼ある人間関係の上に成り立つとするなら、こんな法律や契約での関係にとどまらず、
人間同士の繋がりであり、信頼関係が築けることを、私達が今、証明できる立場なのだと実感する。
我々家族がどういうものなのか!
これは我々に生きる、人間のみができる崇高なFamilyだ!]]>
癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-03-02T08:00:00+09:00
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第20話「体と会話する日々」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e198175.html
2005年1月6日
「体と会話する日々」
抗ガン剤治療の影響で、髪がだんだんと薄くなっていくことを感じながら、
なんとなくいやだなーと思う日々を過ごしている。
思った程は抜けていないので、なんとか過ごせているが、やはり薬の副作用を目の当たりにしてしまう。
もし私がこの真実に出会っていなければ、今どんな会話をしているだろうかとフッと想像する。
それはもう悲劇で大変だったかもしれない。
ましてや、冷静に自分の体と会話することなんか出来なかったはずだ。
良いも悪いもなく、ただ事実として、現象が見れるということは、とてもすごいことだ。
これを言うのは簡単だが、実際ここに生きれることは、神業かもしれないと思ってしまう程だ。
人間が生きるというのは、生きた屍でなければ様々な現象と出会うし、ましてや言葉に牛耳られている。
そこでこの言葉に牛耳られることなく、言葉を創りだせることをマスターすることが、
本来の生きる姿であろうと思う。
今、自分の体と会話し、ダンスが出来ることは、この上なく幸せだ。
絶望ではなく、可能が生まれるからだ。
髪が薄くなればなるはなるで、そのことと共にいる。
そして、日々進化を言葉で創りだすことが、全てと会話することと同じなのだと確信する。
「体と会話する日々」
抗ガン剤治療の影響で、髪がだんだんと薄くなっていくことを感じながら、
なんとなくいやだなーと思う日々を過ごしている。
思った程は抜けていないので、なんとか過ごせているが、やはり薬の副作用を目の当たりにしてしまう。
もし私がこの真実に出会っていなければ、今どんな会話をしているだろうかとフッと想像する。
それはもう悲劇で大変だったかもしれない。
ましてや、冷静に自分の体と会話することなんか出来なかったはずだ。
良いも悪いもなく、ただ事実として、現象が見れるということは、とてもすごいことだ。
これを言うのは簡単だが、実際ここに生きれることは、神業かもしれないと思ってしまう程だ。
人間が生きるというのは、生きた屍でなければ様々な現象と出会うし、ましてや言葉に牛耳られている。
そこでこの言葉に牛耳られることなく、言葉を創りだせることをマスターすることが、
本来の生きる姿であろうと思う。
今、自分の体と会話し、ダンスが出来ることは、この上なく幸せだ。
絶望ではなく、可能が生まれるからだ。
髪が薄くなればなるはなるで、そのことと共にいる。
そして、日々進化を言葉で創りだすことが、全てと会話することと同じなのだと確信する。
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癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-02-23T08:00:00+09:00
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第19話「在宅医療の未来」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e195381.html
2004年12月27日
「自宅医療の未来」
巷では抗ガン治療に関しての研究が、いろいろと行われている。
この抗ガン治療の研究というが、これはいかに副作用をやわらげるかにかかっている様だ。
薬の中身のことでなく、副作用をとりのぞくにはどうしたらいいのかと!
ある研究では、遺伝子の状態で予防の薬を入れるとか、環境音楽を流すとかの方法が
開発されている様だ。
この方法ではほとんど変わらない位の結果でしかないと思う。
なぜならば、病院という環境が病気をつくりだしている事実から見ると、どこまで普通の
生活をしながら、抗ガン治療ができるかの開発をした方がいい。
老人医療でも在宅ケアの方が望ましいと言うが、これはすべてに通じる。
非日常の中で何の意図もなく生きる環境を与えられても、人間は退化するしかない。
それにどんな最高の薬を与えようとも、無意味になってくる。
今回自分の体験からすると、この在宅医療というのは、周りのサポートがあって初めて
成立するのだが、薬も治療方法がかわらなくても、ほとんどが病院にいないだけで、
体調も食欲も違う。
これが通常の仕事をしながらの治療であるならもっと違ってくるだろうと今、ヒシヒシと感じる。
医療がお金の為なのか、人類を救う貢献のものなのか。
今、本気で見直す時がきているのかもしれない。
これが今、私が日々感じる提言なのだ。
「自宅医療の未来」
巷では抗ガン治療に関しての研究が、いろいろと行われている。
この抗ガン治療の研究というが、これはいかに副作用をやわらげるかにかかっている様だ。
薬の中身のことでなく、副作用をとりのぞくにはどうしたらいいのかと!
ある研究では、遺伝子の状態で予防の薬を入れるとか、環境音楽を流すとかの方法が
開発されている様だ。
この方法ではほとんど変わらない位の結果でしかないと思う。
なぜならば、病院という環境が病気をつくりだしている事実から見ると、どこまで普通の
生活をしながら、抗ガン治療ができるかの開発をした方がいい。
老人医療でも在宅ケアの方が望ましいと言うが、これはすべてに通じる。
非日常の中で何の意図もなく生きる環境を与えられても、人間は退化するしかない。
それにどんな最高の薬を与えようとも、無意味になってくる。
今回自分の体験からすると、この在宅医療というのは、周りのサポートがあって初めて
成立するのだが、薬も治療方法がかわらなくても、ほとんどが病院にいないだけで、
体調も食欲も違う。
これが通常の仕事をしながらの治療であるならもっと違ってくるだろうと今、ヒシヒシと感じる。
医療がお金の為なのか、人類を救う貢献のものなのか。
今、本気で見直す時がきているのかもしれない。
これが今、私が日々感じる提言なのだ。
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癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-02-16T08:00:12+09:00
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第18話「不良患者が優等生かも」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e190540.html
2004年12月26日
「不良患者が優等生かも」
ついに、私は病院の食事を全てキャンセルした。
毎日毎日、食べもしない食事を運ばれてきて、返す。
この繰り返しをやっていたが、全く意味のないことであり、そして、
「自分の主体によってやる」 という宣言でもあった。
だからおのずと、ほとんど病院にいない状態が創り出せる。
こういう患者は初めてであろう。
まさに不良患者だ。
ほとんど寝る為だけに病院にいる状態で、昼間は外出して本社に戻り、休養をとり、
会話のある食事を楽しんでいた。
これが功を奏して、食欲が出るのだ。
吐き気は止まらずとも、食べることへの意欲というか、執念というべきか、
看護師たちもびっくりする位の元気さなのだ。
病院、看護というものの常識は、病院側のみから見たものであろう。
こういう理想というか、やり方、方法からいけども、所詮やり方でしかないから、患者はついていけない。
その人の生きる力というか、意図というのは、自ら生きようとするエネルギーが全てを物語っている。
このエネルギーをどこまで高められるかということが、本来の病院の立場なんだと思う。
これは病院だけではないだろう。
会のルール、世間のしきたり、等々、人間がどう生きるかを見なくして、しきたりもルールも意味がない。
全ては、人がどう生きるかが原点なのだから。
「不良患者が優等生かも」
ついに、私は病院の食事を全てキャンセルした。
毎日毎日、食べもしない食事を運ばれてきて、返す。
この繰り返しをやっていたが、全く意味のないことであり、そして、
「自分の主体によってやる」 という宣言でもあった。
だからおのずと、ほとんど病院にいない状態が創り出せる。
こういう患者は初めてであろう。
まさに不良患者だ。
ほとんど寝る為だけに病院にいる状態で、昼間は外出して本社に戻り、休養をとり、
会話のある食事を楽しんでいた。
これが功を奏して、食欲が出るのだ。
吐き気は止まらずとも、食べることへの意欲というか、執念というべきか、
看護師たちもびっくりする位の元気さなのだ。
病院、看護というものの常識は、病院側のみから見たものであろう。
こういう理想というか、やり方、方法からいけども、所詮やり方でしかないから、患者はついていけない。
その人の生きる力というか、意図というのは、自ら生きようとするエネルギーが全てを物語っている。
このエネルギーをどこまで高められるかということが、本来の病院の立場なんだと思う。
これは病院だけではないだろう。
会のルール、世間のしきたり、等々、人間がどう生きるかを見なくして、しきたりもルールも意味がない。
全ては、人がどう生きるかが原点なのだから。]]>
癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-02-09T08:00:59+09:00
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第17話「現象・命ありが人間を苦しめる」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e189977.html
2004年12月24日
「現象・命ありが人間を苦しめる」
2度目の治療が始まって、最初の一週間ものすごい吐き気に襲われ、一晩中寝れない日々が続いた。
食べるものもほとんど入らず、吐けるものもないが、吐き気は止まらない。
この現象が何日も続くと、思わず自分の会話がふき出してくる。
私の母が癌になり、一旦は良くなったものの、数年後には再発し 今はもう亡くなってしまった事や、
自分の死に対する直面で、手放しでOKとはいかない恐怖というか あきらめの様な会話がふき出てきた。
どんなに頑張っても、自分の体ありのところから手放せられなかった。
人間とは、現象あり、命ありというのはしぶとく内在するのだと実感した。
これ以上一人で病室にいるのは危険だと思い、自宅へ戻った。
その晩、リーダーミーティングが行われた。
その中で、
今 田ぐり庵の中で働いているエネルギーと、今の自分の内話のエネルギーが連動していることを
実感すると共に、今ある自分をシェアした。
自分が命ありにのたうちまわっていることを。
それと同時に自分のリバースライフのエネルギーレベルの低さや、エネルギーの未熟さを痛感したのだった。
ただ、このシェアをしてから、自分のエネルギーがシフトしていることに気づく。
何か新しい薬を飲んでいる訳でもなく、逆に吐き気止めの薬をやめた方が調子がいいのだ。
これこそ、人間が会話によって生きているという証明でもある。
本気で自分の会話と直面し、会話することが人間の進化であり、現象を動かすのだと。
そして人間を殺すことは、現象・命ありにとっつかまること自体なんだ。
「現象・命ありが人間を苦しめる」
2度目の治療が始まって、最初の一週間ものすごい吐き気に襲われ、一晩中寝れない日々が続いた。
食べるものもほとんど入らず、吐けるものもないが、吐き気は止まらない。
この現象が何日も続くと、思わず自分の会話がふき出してくる。
私の母が癌になり、一旦は良くなったものの、数年後には再発し 今はもう亡くなってしまった事や、
自分の死に対する直面で、手放しでOKとはいかない恐怖というか あきらめの様な会話がふき出てきた。
どんなに頑張っても、自分の体ありのところから手放せられなかった。
人間とは、現象あり、命ありというのはしぶとく内在するのだと実感した。
これ以上一人で病室にいるのは危険だと思い、自宅へ戻った。
その晩、リーダーミーティングが行われた。
その中で、
今 田ぐり庵の中で働いているエネルギーと、今の自分の内話のエネルギーが連動していることを
実感すると共に、今ある自分をシェアした。
自分が命ありにのたうちまわっていることを。
それと同時に自分のリバースライフのエネルギーレベルの低さや、エネルギーの未熟さを痛感したのだった。
ただ、このシェアをしてから、自分のエネルギーがシフトしていることに気づく。
何か新しい薬を飲んでいる訳でもなく、逆に吐き気止めの薬をやめた方が調子がいいのだ。
これこそ、人間が会話によって生きているという証明でもある。
本気で自分の会話と直面し、会話することが人間の進化であり、現象を動かすのだと。
そして人間を殺すことは、現象・命ありにとっつかまること自体なんだ。]]>
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2009-02-02T08:00:00+09:00
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第16話「2度目の抗ガン剤治療への挑戦」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e186614.html
2004年12月19日
「2度目の抗ガン剤治療への挑戦」
12月7日より、2クール目の抗ガン剤治療が始まった。
今回初の挑戦をやってみた。それは、治療中に睡眠安定剤を使わずに 投薬してもらうということだった。
その為に、自分の意図を創りつづけようと!
だから、抗ガン剤を受けながらメッセージのワープロ化することを取り組んでみたりと 初の試みをやってみた。
福大での抗ガン剤治療で、睡眠安定剤を使わないでやった人は、初めてだと 後で看護師に言われたくらいで、
こんな風に自らこんな風にしてくれと言う患者はほとんどいない。
ガンと言われただけで、絶望や悲しみにくれ、医者のいうがままになってしまう人がほとんどだ。
逆に医者の言うことは聞かず、反発で民間療法のみになってしまう人もいる。
私は医者はNOとは思わないが、全てではない。
やはり根本に、人間としてどう生きるかという謎がとけていない人がほとんどだ。
そして命ありに生きているのが人間でもある。
そこに、自分がどう生きるかに目覚めることが全てのカギとなってくる。
病気も自分で創ったとしたら、病気も自分で治せるはずだ。
まさにこの在り方があるかないかで全く結果は違う。
とにかく、今、私は医者と会話し 自分の体と真っ向から向き合って、医者の常識ではなく、
今、何が必要かを話し合っている。
それは、医学という知識では医者の方があるだろうが、
人間がどう生きるか、という真実からすると 私の方がプロだからだ。
それが最終的に、人類の命ありに革命をおこす切っ先となるのだ。
「2度目の抗ガン剤治療への挑戦」
12月7日より、2クール目の抗ガン剤治療が始まった。
今回初の挑戦をやってみた。それは、治療中に睡眠安定剤を使わずに 投薬してもらうということだった。
その為に、自分の意図を創りつづけようと!
だから、抗ガン剤を受けながらメッセージのワープロ化することを取り組んでみたりと 初の試みをやってみた。
福大での抗ガン剤治療で、睡眠安定剤を使わないでやった人は、初めてだと 後で看護師に言われたくらいで、
こんな風に自らこんな風にしてくれと言う患者はほとんどいない。
ガンと言われただけで、絶望や悲しみにくれ、医者のいうがままになってしまう人がほとんどだ。
逆に医者の言うことは聞かず、反発で民間療法のみになってしまう人もいる。
私は医者はNOとは思わないが、全てではない。
やはり根本に、人間としてどう生きるかという謎がとけていない人がほとんどだ。
そして命ありに生きているのが人間でもある。
そこに、自分がどう生きるかに目覚めることが全てのカギとなってくる。
病気も自分で創ったとしたら、病気も自分で治せるはずだ。
まさにこの在り方があるかないかで全く結果は違う。
とにかく、今、私は医者と会話し 自分の体と真っ向から向き合って、医者の常識ではなく、
今、何が必要かを話し合っている。
それは、医学という知識では医者の方があるだろうが、
人間がどう生きるか、という真実からすると 私の方がプロだからだ。
それが最終的に、人類の命ありに革命をおこす切っ先となるのだ。]]>
癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-01-26T08:00:04+09:00
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第15話「我々家族の愛」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e179858.html
2004.11.30
「我々家族の愛」
私の病気が発覚してから約40日が過ぎようとしている。
そして第一線から退いて、治療に専念させてもらっている。
この日々を通して、今実感していることがある。
それは我々家族の愛だ。
血の繋がった家族以上の愛を感じる。(姉もよくサポートしてくれていると思っているが。)
毎日のように「具合はどう?」と気をかけてもらい「食事は?」と気遣ってもらい
子供が親に面倒を見てもらっているようなものだ。
以前の自分であれば、仲間として仕事をしていて 全く仕事が出来なければ、
どこか仲間でなくなるといった差別に生きていたのかもしれない。
逆に、これまで生きてきた自分は《自分が》に命がけだったのかもしれない。
《自分が》という傲慢に生きてきたように思う。
自分が立場をとるというのは、本物の我々になるということなのだとしみじみ思う。
この我々のエネルギーを実感しているのだ。
最近本社でのミーティングが連日行われ、そこに一緒にいさせもらい、どの立場にいようと
私達がどこに向かい、何を意図しているのか、それは変わらないのだと、
私達の仕事は何かの原点に立ち戻らせてくれる。
生きていく為のお金をかせぐ為の仕事ではない。
本物の我々家族を創りだすことが、私達の仕事なのだと!!
社長や専務に頭が下がる思いで、感謝しています。
仲間の皆の愛に支えられていることに感謝しています。
そして、今、この病気になったことに感謝している。
自分の見えなかったことに目を向けられていることに。
「我々家族の愛」
私の病気が発覚してから約40日が過ぎようとしている。
そして第一線から退いて、治療に専念させてもらっている。
この日々を通して、今実感していることがある。
それは我々家族の愛だ。
血の繋がった家族以上の愛を感じる。(姉もよくサポートしてくれていると思っているが。)
毎日のように「具合はどう?」と気をかけてもらい「食事は?」と気遣ってもらい
子供が親に面倒を見てもらっているようなものだ。
以前の自分であれば、仲間として仕事をしていて 全く仕事が出来なければ、
どこか仲間でなくなるといった差別に生きていたのかもしれない。
逆に、これまで生きてきた自分は《自分が》に命がけだったのかもしれない。
《自分が》という傲慢に生きてきたように思う。
自分が立場をとるというのは、本物の我々になるということなのだとしみじみ思う。
この我々のエネルギーを実感しているのだ。
最近本社でのミーティングが連日行われ、そこに一緒にいさせもらい、どの立場にいようと
私達がどこに向かい、何を意図しているのか、それは変わらないのだと、
私達の仕事は何かの原点に立ち戻らせてくれる。
生きていく為のお金をかせぐ為の仕事ではない。
本物の我々家族を創りだすことが、私達の仕事なのだと!!
社長や専務に頭が下がる思いで、感謝しています。
仲間の皆の愛に支えられていることに感謝しています。
そして、今、この病気になったことに感謝している。
自分の見えなかったことに目を向けられていることに。]]>
癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-01-19T08:00:31+09:00
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第14話「私は病人にならない」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e179855.html
2004年11月28日
第14話 「私は病人にならない」
病院にいると、患者はすべて病人だ。
いわゆる病をもった人だ。
確かに、治療やケアをすることは大事だが、なにも病人にならなくてもいいのではと思う。
私は 前にも書いた様に、病院にいるだけて病人になってしまうので、極力外出を許可してもらっていた。
その会話を先生と重ねてきたことで、3回目の投与の翌日には退院の許可がおりた。
これは異例な事の様で、投与後 あまりにも元気だったからだ。
一刻も早く退院することで、自主管理のもとでケアをする事を決めていた。
次回の時も投与の時だけ入院しようと決めている。通い治療の様なものだ。
最初は2~3ヶ月はずっと入院する様にと医者からは言われた。
そうしなければ治療は出来ないと。
ただ医者の言うことが100%ではない。
やり方、方法ではプロかも知れないが、どう生きるかということでは自分が人生のプロとしての責任がある。
そこから見れば病人ではなくなる
確かにガンという病をもっているが、ただそれだけだ。
社長が不整脈を持っているが、病人ではないことと同じなのだ。
このガンを治すことは、100%取り組むが、
病人にはならないと決めた。
この退院した日は、田ぐり庵の7周年記念日であり、長井社長の誕生日でもあった。(11月18日)
この見えない深い意図が、奇跡をおこしたとも言える。
第14話 「私は病人にならない」
病院にいると、患者はすべて病人だ。
いわゆる病をもった人だ。
確かに、治療やケアをすることは大事だが、なにも病人にならなくてもいいのではと思う。
私は 前にも書いた様に、病院にいるだけて病人になってしまうので、極力外出を許可してもらっていた。
その会話を先生と重ねてきたことで、3回目の投与の翌日には退院の許可がおりた。
これは異例な事の様で、投与後 あまりにも元気だったからだ。
一刻も早く退院することで、自主管理のもとでケアをする事を決めていた。
次回の時も投与の時だけ入院しようと決めている。通い治療の様なものだ。
最初は2~3ヶ月はずっと入院する様にと医者からは言われた。
そうしなければ治療は出来ないと。
ただ医者の言うことが100%ではない。
やり方、方法ではプロかも知れないが、どう生きるかということでは自分が人生のプロとしての責任がある。
そこから見れば病人ではなくなる
確かにガンという病をもっているが、ただそれだけだ。
社長が不整脈を持っているが、病人ではないことと同じなのだ。
このガンを治すことは、100%取り組むが、
病人にはならないと決めた。
この退院した日は、田ぐり庵の7周年記念日であり、長井社長の誕生日でもあった。(11月18日)
この見えない深い意図が、奇跡をおこしたとも言える。]]>
癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-01-12T08:00:12+09:00
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第13話「吐き気を克服する」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e179846.html
2004年11月27日
第13話 「吐き気を克服する」
11月17日、3度目の抗ガン剤の投与の日だった。
前回の2度目と同じで、1日で終わるものだったが、少し創作をしてみた。
投与をする時に、ただじっと寝ているのではなく、軽く仕事をしながら(軽くワープロを打つ)やってみた。
自分の会話をチェンジする為だ。
自分が病人と思い、ただ受身でいる事より、自分が意図を創り、集中するものを創作したのだ。
病人という会話を創れば、本当に病人になってしまう恐ろしさを実感する。
そこで、吐き気に対して自分のひらめきがおきた。
この3度目の投与の前に外泊をした時、以前の生活のリズムで夜遅くまで起きていた。
私の食事のリズムが(入院する以前)第1回目が午後2時前後、2回目が夕方7時前、3回目が
夜中の12時頃といった具合で動いていた。
思わずこの外泊の時の様に夜中の食事をしたら、翌日に吐き気がなかった!
久しぶりの朝の爽快感だった。
もしかすると、病院のリズムで、夜6~7時頃食事をしてから朝まで何も食べなかったことが、
逆に朝の吐き気を引き出していたのかもしれない。
あまりにも空腹すぎて吐き気になったかもと思った。
それからは、投与をした後でも一切吐き気が止まったのだ!
確かに投与後は、若干胃のあたりが重たくも感じたが、吐き気まではならなかった。
この喜びはひとしおだった。
自分の会話がチェンジするだけで副作用すらも変えられる事が、うれしかった。
会話だけでなく、会話に伴う行動として、寝る前まで満腹状態を創ることもやった。
確実に、自分の会話で病気の治療をリードできはじめてきたのだ。
これが会話者としての在り方だと心している。
第13話 「吐き気を克服する」
11月17日、3度目の抗ガン剤の投与の日だった。
前回の2度目と同じで、1日で終わるものだったが、少し創作をしてみた。
投与をする時に、ただじっと寝ているのではなく、軽く仕事をしながら(軽くワープロを打つ)やってみた。
自分の会話をチェンジする為だ。
自分が病人と思い、ただ受身でいる事より、自分が意図を創り、集中するものを創作したのだ。
病人という会話を創れば、本当に病人になってしまう恐ろしさを実感する。
そこで、吐き気に対して自分のひらめきがおきた。
この3度目の投与の前に外泊をした時、以前の生活のリズムで夜遅くまで起きていた。
私の食事のリズムが(入院する以前)第1回目が午後2時前後、2回目が夕方7時前、3回目が
夜中の12時頃といった具合で動いていた。
思わずこの外泊の時の様に夜中の食事をしたら、翌日に吐き気がなかった!
久しぶりの朝の爽快感だった。
もしかすると、病院のリズムで、夜6~7時頃食事をしてから朝まで何も食べなかったことが、
逆に朝の吐き気を引き出していたのかもしれない。
あまりにも空腹すぎて吐き気になったかもと思った。
それからは、投与をした後でも一切吐き気が止まったのだ!
確かに投与後は、若干胃のあたりが重たくも感じたが、吐き気まではならなかった。
この喜びはひとしおだった。
自分の会話がチェンジするだけで副作用すらも変えられる事が、うれしかった。
会話だけでなく、会話に伴う行動として、寝る前まで満腹状態を創ることもやった。
確実に、自分の会話で病気の治療をリードできはじめてきたのだ。
これが会話者としての在り方だと心している。
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癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2009-01-05T08:00:45+09:00
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第12話「命ありにしがみつく珍客あり」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e174863.html
2004.11.25
「命ありにしがみつく珍客あり」
病気というものは不思議なものだ。
ぱったりと音信が途絶えた人が、何かを聞きつけて、寄って来るからだ。
私達 田ぐり庵 が弁当屋宣言をした時に、その前後かで去って行き、それからは
結婚をし、子供も生まれ、何一つ連絡のなかった人が、私がガンだと聞きつけてお見舞いに来たのだ。
私には、嬉しくもないお見舞いであり、何の為に来たのか、不思議でしょうがなかったから、ストレートに会話をした。
「本当の目的は何?」
と聞くと、
「幸和ちゃんが好きだから。」なんてことを言う。
思わず私は、「よくそんな事を言えるよね!今まで何の連絡もなく、我々として生きてきて、
自分のやってきた事や、我々に対して、後ろ足でドロをひっかけるようなことをしていて、病気になったとたん、
好きだからって言って、受け取れる訳がないでしょ!」
と言った。
彼女は苦笑いをしていたが、本当の目的は違うようだ。
健康食品の営業であることは、明らかにわかる。
以前我々から離れていった人達で、この人脈を利用し、今も活動があるようだ。
そして、この健康食品というのは、人の命にしがみついた最たるものだ。
確かに、食べるもので体という肉体はつくられる。そして、その会話がつながっていくのは人間関係しかない。
この人間関係を無視した会話は利用でしかない。
我のお金の為、
我の出世の為、
我の生存の為でしかない。
病気というものは、全てにおいて、世間の会話を引き寄せる。
宗教、お金、命、人間がどこまで命なしに生きれるか。
現象なしに生きれるか。
御修行させられていると実感する。
「命ありにしがみつく珍客あり」
病気というものは不思議なものだ。
ぱったりと音信が途絶えた人が、何かを聞きつけて、寄って来るからだ。
私達 田ぐり庵 が弁当屋宣言をした時に、その前後かで去って行き、それからは
結婚をし、子供も生まれ、何一つ連絡のなかった人が、私がガンだと聞きつけてお見舞いに来たのだ。
私には、嬉しくもないお見舞いであり、何の為に来たのか、不思議でしょうがなかったから、ストレートに会話をした。
「本当の目的は何?」
と聞くと、
「幸和ちゃんが好きだから。」なんてことを言う。
思わず私は、「よくそんな事を言えるよね!今まで何の連絡もなく、我々として生きてきて、
自分のやってきた事や、我々に対して、後ろ足でドロをひっかけるようなことをしていて、病気になったとたん、
好きだからって言って、受け取れる訳がないでしょ!」
と言った。
彼女は苦笑いをしていたが、本当の目的は違うようだ。
健康食品の営業であることは、明らかにわかる。
以前我々から離れていった人達で、この人脈を利用し、今も活動があるようだ。
そして、この健康食品というのは、人の命にしがみついた最たるものだ。
確かに、食べるもので体という肉体はつくられる。そして、その会話がつながっていくのは人間関係しかない。
この人間関係を無視した会話は利用でしかない。
我のお金の為、
我の出世の為、
我の生存の為でしかない。
病気というものは、全てにおいて、世間の会話を引き寄せる。
宗教、お金、命、人間がどこまで命なしに生きれるか。
現象なしに生きれるか。
御修行させられていると実感する。
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癌ダンス日記
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2008-12-29T08:00:06+09:00
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第11話「2度目の抗ガン治療」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e172865.html
2004年11月24日
「2度目の抗ガン治療」
1クールの2度目の抗ガン治療の日が来た。
2度目は、1度目とは違い、1日で終わるもので、比較的楽な状態で治療は終わった。
この抗ガン治療は、抗ガン剤投与自体は楽で、何の苦痛もないが、その後に全てやって来る。
これが副作用と言うべきか、薬が効いているというべきかのものだけど、とても体的にはきついものだ。
この頃から、食べれないせいで体重がグンと減り、入院当時からすると、4kg位落ちてしまった。
そのせいか動くこともきつく感じることも多くあり、なおさら気が滅入ってしまった。
翌日にはもう病院から出て行きたくなって、
病院にいるだけで、本当に病人になってしまうことを体感せざるをえなかった。
これは、自分でも危険と感じ、こうも体力が落ちたのでは治るものも治らなくなると思い、
先生と話し、外出許可をもらった。
この外出許可の件でも、何の為のルールかわからないことがでてきたが、
普通では、1週間に1泊2日までしか外出、外泊は出来ないとのことだが、
私は治療の翌日からずっと毎日午後、外出許可をもらい、とにかく食べることへの、意欲を創った。
普通の人であれば、これが病院のきまりとあきらめ、病院の言うがままにして、
薬漬けになっていくのであろうと思うが、
私は自分の体には、自分で責任をとるという、意図があるので、とにかく先生や看護師に、
これ以上病院にいてもマイナスはあってもプラスはない と言い切り、
とにかく、自分の体力を、自分でつけてくる!と言い続けた。
外出することは、環境も会話も変わってくることで、自分自身の意図を創作することへの
重大なポイントになった。
「2度目の抗ガン治療」
1クールの2度目の抗ガン治療の日が来た。
2度目は、1度目とは違い、1日で終わるもので、比較的楽な状態で治療は終わった。
この抗ガン治療は、抗ガン剤投与自体は楽で、何の苦痛もないが、その後に全てやって来る。
これが副作用と言うべきか、薬が効いているというべきかのものだけど、とても体的にはきついものだ。
この頃から、食べれないせいで体重がグンと減り、入院当時からすると、4kg位落ちてしまった。
そのせいか動くこともきつく感じることも多くあり、なおさら気が滅入ってしまった。
翌日にはもう病院から出て行きたくなって、
病院にいるだけで、本当に病人になってしまうことを体感せざるをえなかった。
これは、自分でも危険と感じ、こうも体力が落ちたのでは治るものも治らなくなると思い、
先生と話し、外出許可をもらった。
この外出許可の件でも、何の為のルールかわからないことがでてきたが、
普通では、1週間に1泊2日までしか外出、外泊は出来ないとのことだが、
私は治療の翌日からずっと毎日午後、外出許可をもらい、とにかく食べることへの、意欲を創った。
普通の人であれば、これが病院のきまりとあきらめ、病院の言うがままにして、
薬漬けになっていくのであろうと思うが、
私は自分の体には、自分で責任をとるという、意図があるので、とにかく先生や看護師に、
これ以上病院にいてもマイナスはあってもプラスはない と言い切り、
とにかく、自分の体力を、自分でつけてくる!と言い続けた。
外出することは、環境も会話も変わってくることで、自分自身の意図を創作することへの
重大なポイントになった。
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癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2008-12-22T08:00:00+09:00
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第10話「週一回の行事」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e172600.html
2004年11月22日
「週一回の行事」
毎週木曜日の午後2時頃、大学病院ならではの行事がある。
それは、教授・助教授が、自分の部下全てを引き連れての総回診だ。
初回は初めてでビックリした。
自分の見たことも無い先生達が、看護師長や、看護主任まで従えて約20人位が病室に入ってくる。
そしてやる事は、担当の医師についている、インターンの学生が病気の説明を、用紙に書いてあるものを
棒読みで読むだけだった。
毎回同じこの繰り返しで、一言も私との会話はないまま報告だけを聞き、終わるのだ。
この総回診の意味は何だろうと思ってしまった。
患者とは一言も話しをしない。ただデータを聞くだけであれば、そのデータはいつでも見れるものであるから、
この回診は意味が無い。
そして、約20名位ぞろぞろとくっついてくるのは、皆自分の勉強の為である。
どの行動一つとっても患者の為ではないことだけは確かだ。
病院という存在は、知れば知る程、実態がまる見えになってくる。
本来、西洋医学であれ、東洋医学であれ、病気を治すことが一番の目的だ。
それを遂行するのは、やっぱり人間と会話することが原点にある。
この会話がなければ、まるで一方的にやり方、方法でモルモットの様に、自分たちのデータ取りの為だけに
処置しているとしか思えないのだ。
すべてに人と出会うことが人間であり、これを見落としていることは、
人間としての仕事ではなく、
人間として生きることではなく、
人間そのものではなくなる。
どこにいても、人を出会うことが、すべての問題をとくカギとなることを、あらためて実感する。
「週一回の行事」
毎週木曜日の午後2時頃、大学病院ならではの行事がある。
それは、教授・助教授が、自分の部下全てを引き連れての総回診だ。
初回は初めてでビックリした。
自分の見たことも無い先生達が、看護師長や、看護主任まで従えて約20人位が病室に入ってくる。
そしてやる事は、担当の医師についている、インターンの学生が病気の説明を、用紙に書いてあるものを
棒読みで読むだけだった。
毎回同じこの繰り返しで、一言も私との会話はないまま報告だけを聞き、終わるのだ。
この総回診の意味は何だろうと思ってしまった。
患者とは一言も話しをしない。ただデータを聞くだけであれば、そのデータはいつでも見れるものであるから、
この回診は意味が無い。
そして、約20名位ぞろぞろとくっついてくるのは、皆自分の勉強の為である。
どの行動一つとっても患者の為ではないことだけは確かだ。
病院という存在は、知れば知る程、実態がまる見えになってくる。
本来、西洋医学であれ、東洋医学であれ、病気を治すことが一番の目的だ。
それを遂行するのは、やっぱり人間と会話することが原点にある。
この会話がなければ、まるで一方的にやり方、方法でモルモットの様に、自分たちのデータ取りの為だけに
処置しているとしか思えないのだ。
すべてに人と出会うことが人間であり、これを見落としていることは、
人間としての仕事ではなく、
人間として生きることではなく、
人間そのものではなくなる。
どこにいても、人を出会うことが、すべての問題をとくカギとなることを、あらためて実感する。
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癌ダンス日記
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2008-12-15T08:00:12+09:00
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第9話「我々でいられることの感謝」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e168898.html
2004年11月16日
「我々でいられることの感謝」
私が入院をして約2週間がたった。
入院をする迄、自分が立場をとっていたものを、色んな人達に委任し、やってきている。
その中で経理のことは専務にお願いすると同時に、毎日の業務のほとんど柴田さんに依頼を
している。
彼女は、本社の上園さんが退社するとの事で、9月の初めから本社勤務になったが、
本来、上園さんの後を引き継ぐはずが、それ以上の経理的立場をとる様になって来ている。
そんな中、私の入院で毎朝入金状況から支払状況を細かく打ち合わせをし、全ての外部との
窓口をしてもらっている状況だ。
彼女は、確かにこの真実のことを理解している訳ではないと思う。
が、エネルギーとしては、すでに我々として生きてくれていることをつくづく感じる。
それは、この経済革命の今、次へのステップを踏む大チェンジの時に、
只ひたすらに一緒にいてくれている。
だから、お金という、一番直面する現実と、ダンスしてくれているのだ。
これはすごいことだ。
まったくわかっていない人が、ただ言われるままに作業としてやって、やれるか。
我々として立場をとらない限り、この現実には直面できないだろうと思っていたことが、行われている。
彼女から毎日届けられるものに皆のライトメッセージがある。
この皆のライトメッセージを読むと、自分のエネルギーがフーっと軽くなることを感じる。
これが我々の会話のエネルギーだろう。
毎日のメッセージに託されている我々や、人に向かってのエネルギーが、人を力づける意図が、
人のエネルギーを軽くしてくれる。
これが、どこにいても我々でいられることへの感謝として感ずる。
人が立場をとってくれることも、エネルギーが回流することも、
我々でないと実現しない。
2004年11月16日
「我々でいられることの感謝」
私が入院をして約2週間がたった。
入院をする迄、自分が立場をとっていたものを、色んな人達に委任し、やってきている。
その中で経理のことは専務にお願いすると同時に、毎日の業務のほとんど柴田さんに依頼を
している。
彼女は、本社の上園さんが退社するとの事で、9月の初めから本社勤務になったが、
本来、上園さんの後を引き継ぐはずが、それ以上の経理的立場をとる様になって来ている。
そんな中、私の入院で毎朝入金状況から支払状況を細かく打ち合わせをし、全ての外部との
窓口をしてもらっている状況だ。
彼女は、確かにこの真実のことを理解している訳ではないと思う。
が、エネルギーとしては、すでに我々として生きてくれていることをつくづく感じる。
それは、この経済革命の今、次へのステップを踏む大チェンジの時に、
只ひたすらに一緒にいてくれている。
だから、お金という、一番直面する現実と、ダンスしてくれているのだ。
これはすごいことだ。
まったくわかっていない人が、ただ言われるままに作業としてやって、やれるか。
我々として立場をとらない限り、この現実には直面できないだろうと思っていたことが、行われている。
彼女から毎日届けられるものに皆のライトメッセージがある。
この皆のライトメッセージを読むと、自分のエネルギーがフーっと軽くなることを感じる。
これが我々の会話のエネルギーだろう。
毎日のメッセージに託されている我々や、人に向かってのエネルギーが、人を力づける意図が、
人のエネルギーを軽くしてくれる。
これが、どこにいても我々でいられることへの感謝として感ずる。
人が立場をとってくれることも、エネルギーが回流することも、
我々でないと実現しない。]]>
癌ダンス日記
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2008-12-08T08:00:58+09:00
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第8話「自分の体(会話)とダンスする」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e168494.html
2004年11月15日
第8話 「自分の体(会話)とダンスする」
吐き気止めの薬を常備しながら、自分の体とのダンスが始まった。
投薬後4日目にはじめて、まともに食事が少しできる様になり、
思わず口にしたのが、福新楼のギョーザとカップめんのうどんだった。
無性に食べたくなって、社長達がお見舞いで持って来て下さったものだった。
ギョーザの肉汁が、体のすみずみまで染み渡っていく感覚がいまでもハッキリ残っている位だ。
今回私は、個室をとっていて、いつでも自由にコミュニケーションがとれる様にしている。
だから部屋にいても他の患者の人と話すということはほとんどない。
食事も部屋にもって来てもらえるのですべて部屋にいて過ごせるのだ。
だから、会話をするとするなら、看護師の人か先生か我々スタッフの仲間だ。
毎朝専務から「体の調子はどう?」と必ず一本の電話をいただく。
この一言(エネルギー)に癒されて、その日の状態を会話して自分の一日がスタートする感じだ。
だから吐き気も朝のうちだけに治まって来る。
朝、起きぬけは何ともいえない不快感で目は覚めるが、起きると思わず体の細胞が動き出す様で、
そこをうまく調整しながら体を目覚めさせていくのだ。
こんなにも、自分の体に神経をはらいながら朝、目覚めるのは、生まれて初めてのことだ。
この時に、自分のスーパーセルフメッセージがスタートする。
起き上がって半跏趺坐になってとはすぐにはいかないので、少しベットを起こしながら
それに寄りかかりながらのセルフメッセージだ。
お母さん、お父さん、皆さんと一段づつじっくりじっくり、自分の体と会話とダンスしながらの
セルフメッセージが始まる。
スーパー部だけでも30分~1時間位かかってしまうものだ。
でもここでは今、手を抜けない。
第8話 「自分の体(会話)とダンスする」
吐き気止めの薬を常備しながら、自分の体とのダンスが始まった。
投薬後4日目にはじめて、まともに食事が少しできる様になり、
思わず口にしたのが、福新楼のギョーザとカップめんのうどんだった。
無性に食べたくなって、社長達がお見舞いで持って来て下さったものだった。
ギョーザの肉汁が、体のすみずみまで染み渡っていく感覚がいまでもハッキリ残っている位だ。
今回私は、個室をとっていて、いつでも自由にコミュニケーションがとれる様にしている。
だから部屋にいても他の患者の人と話すということはほとんどない。
食事も部屋にもって来てもらえるのですべて部屋にいて過ごせるのだ。
だから、会話をするとするなら、看護師の人か先生か我々スタッフの仲間だ。
毎朝専務から「体の調子はどう?」と必ず一本の電話をいただく。
この一言(エネルギー)に癒されて、その日の状態を会話して自分の一日がスタートする感じだ。
だから吐き気も朝のうちだけに治まって来る。
朝、起きぬけは何ともいえない不快感で目は覚めるが、起きると思わず体の細胞が動き出す様で、
そこをうまく調整しながら体を目覚めさせていくのだ。
こんなにも、自分の体に神経をはらいながら朝、目覚めるのは、生まれて初めてのことだ。
この時に、自分のスーパーセルフメッセージがスタートする。
起き上がって半跏趺坐になってとはすぐにはいかないので、少しベットを起こしながら
それに寄りかかりながらのセルフメッセージだ。
お母さん、お父さん、皆さんと一段づつじっくりじっくり、自分の体と会話とダンスしながらの
セルフメッセージが始まる。
スーパー部だけでも30分~1時間位かかってしまうものだ。
でもここでは今、手を抜けない。]]>
癌ダンス日記
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2008-12-01T08:00:11+09:00
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第7話「入院体験記 初の抗ガン剤治療」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e167080.html
2004年11月12日
「入院体験記 初の抗ガン剤治療」
いよいよ、初の抗ガン剤治療が始まった。(11月2日)
朝9時からは薬の入っていない点滴が打たれ始める。
これは腎臓がうまく機能するかの為の点滴のようで、この間は座っていても、
動いていても大丈夫という事。
それから昼食を食べ、投薬の最中は眠らせる為に、安定剤を2錠。
これは1時と3時に分けて飲む事になっている。
だが、看護婦のミスで最初に2錠飲んでしまった。
そのせいかコロリと寝てしまって目覚めた時は投薬が終わって夕方6時の夕食で目が覚めた。
とてもおなかがすいていたので夕食をペロリと平らげてしまったが、ここからが副作用との戦い(?)が始まった。
それは吐き気だ。
夕食はすぐに全部戻してしまった。
投薬の後は、薬をうまく巡回させる為の点滴が翌日の夕方6時頃まで続く。
この間ベットから一歩も動けず、おしっこもクダでとる始末だ。
初日の夕方6時頃までは元気よく調子もよかったが、それからが拷問だったなとつくづく思う。
食べるものは食べれず、吐き気には襲われる。
何が一番苦痛かと聞かれると、食べられないことだ。
食欲がわかないことが一番だ。
その他の点滴や薬は何ともないが、人が生きていく上で、本当に食べるということが、
どれだけ人の生き方に影響していることかとつくづく思ってしまう。
今回の入院生活での私の闘いとあえていうなら、この食べる事への闘いの様に思う。
本社801号室の食事。
皆で会話しながら食べていた食事。
ここまで 会話の環境が、食することが重大だとは。。。、
それを痛感した初の抗ガン剤治療だった。
「入院体験記 初の抗ガン剤治療」
いよいよ、初の抗ガン剤治療が始まった。(11月2日)
朝9時からは薬の入っていない点滴が打たれ始める。
これは腎臓がうまく機能するかの為の点滴のようで、この間は座っていても、
動いていても大丈夫という事。
それから昼食を食べ、投薬の最中は眠らせる為に、安定剤を2錠。
これは1時と3時に分けて飲む事になっている。
だが、看護婦のミスで最初に2錠飲んでしまった。
そのせいかコロリと寝てしまって目覚めた時は投薬が終わって夕方6時の夕食で目が覚めた。
とてもおなかがすいていたので夕食をペロリと平らげてしまったが、ここからが副作用との戦い(?)が始まった。
それは吐き気だ。
夕食はすぐに全部戻してしまった。
投薬の後は、薬をうまく巡回させる為の点滴が翌日の夕方6時頃まで続く。
この間ベットから一歩も動けず、おしっこもクダでとる始末だ。
初日の夕方6時頃までは元気よく調子もよかったが、それからが拷問だったなとつくづく思う。
食べるものは食べれず、吐き気には襲われる。
何が一番苦痛かと聞かれると、食べられないことだ。
食欲がわかないことが一番だ。
その他の点滴や薬は何ともないが、人が生きていく上で、本当に食べるということが、
どれだけ人の生き方に影響していることかとつくづく思ってしまう。
今回の入院生活での私の闘いとあえていうなら、この食べる事への闘いの様に思う。
本社801号室の食事。
皆で会話しながら食べていた食事。
ここまで 会話の環境が、食することが重大だとは。。。、
それを痛感した初の抗ガン剤治療だった。]]>
癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2008-11-24T08:00:00+09:00
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第6話「入院体験記 精密検査終了」
https://sawako.yoka-yoka.jp/e165380.html
2004年11月1日
「入院体験記 精密検査終了」
いよいよ、検査も大詰めに入り、今日は薬の影響も考えられる、腎尿管造影
(腎臓から順調に尿がうまく流れているかの検査)と、M.R.I。
翌日にCTの検査だった。
よくいう、レントゲン写真の精密版だ。1枚の中に20cut分の影像が写っている。
いずれも初体験で興味津々に望んだが、その時その時必ず言われるのが、
「気分は悪くないですか?」
「不安はないですか?」
「気分が悪くなったらすぐに言って下さいね」
「一人で帰ってこれますか?」
この言葉で気分が悪くなくても、悪くなりそうだった。
そんな中私は、不覚にもM.R.Iの最中に、あの磁波が心地よく、眠ってしまった。
先生に起こされて終わったことを知る位だった。
まぁのんきなことだと自分でも思いつつ、結果が出た。
正式病名は子宮頚癌というものである。
普通子宮は卵位の大きさなのに、それに約6cmの癌細胞がくっついている状態だった。
段階を言うと、Ⅰ期にあたって、現在では転移は見られないとの事。
だけどあまりにも癌細胞が大きすぎるので、化学療法(抗ガン剤)で小さくしてから手術
をするという状態だ。
いよいよ始まる。西洋医学での精密さから、現在の事実が明らかになった。
そしてこの現象を治していくのは
会話が全てである。
会話が存在するからこそ、薬も生きて来る。
会話が無く、薬だけでは全く結果が違う。
これを今証明する使命が今自分にあると自覚している。
腫瘍サイズがここまで大きくなっていて、体の痛みや自覚症状がないことも
奇跡としかいいようがない。
ここまでことばで生まれる体験中だが、それをもっと深く肉体をも生まれ変わらせる
ことへの挑戦です。
2004年11月1日
「入院体験記 精密検査終了」
いよいよ、検査も大詰めに入り、今日は薬の影響も考えられる、腎尿管造影
(腎臓から順調に尿がうまく流れているかの検査)と、M.R.I。
翌日にCTの検査だった。
よくいう、レントゲン写真の精密版だ。1枚の中に20cut分の影像が写っている。
いずれも初体験で興味津々に望んだが、その時その時必ず言われるのが、
「気分は悪くないですか?」
「不安はないですか?」
「気分が悪くなったらすぐに言って下さいね」
「一人で帰ってこれますか?」
この言葉で気分が悪くなくても、悪くなりそうだった。
そんな中私は、不覚にもM.R.Iの最中に、あの磁波が心地よく、眠ってしまった。
先生に起こされて終わったことを知る位だった。
まぁのんきなことだと自分でも思いつつ、結果が出た。
正式病名は子宮頚癌というものである。
普通子宮は卵位の大きさなのに、それに約6cmの癌細胞がくっついている状態だった。
段階を言うと、Ⅰ期にあたって、現在では転移は見られないとの事。
だけどあまりにも癌細胞が大きすぎるので、化学療法(抗ガン剤)で小さくしてから手術
をするという状態だ。
いよいよ始まる。西洋医学での精密さから、現在の事実が明らかになった。
そしてこの現象を治していくのは
会話が全てである。
会話が存在するからこそ、薬も生きて来る。
会話が無く、薬だけでは全く結果が違う。
これを今証明する使命が今自分にあると自覚している。
腫瘍サイズがここまで大きくなっていて、体の痛みや自覚症状がないことも
奇跡としかいいようがない。
ここまでことばで生まれる体験中だが、それをもっと深く肉体をも生まれ変わらせる
ことへの挑戦です。
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癌ダンス日記
NAGAIトークスタジオ
2008-11-17T09:00:46+09:00