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2008年10月20日

はじめに。。。。。。

今は2008年10月ですから、ちょうど4年前の2004年10月。

松田幸和子の「癌」が発覚した時は、NAGAIのスタッフ一同に動揺の嵐が吹きぬけた。


まさか?!さわちゃんが?!

晴天の霹靂とはこのことだろう。


抗がん剤の投与、摘出手術、と数ヶ月間の体験だった。


これまた、今となっては あれは何だったの?! というくらいさわちゃんは元気だ。



「ことばがすべてのすべて」「意図が現象を現す」というNAGAIの提言しているメッセージをコレほどまでに見事に体現したエピソードも少ないだろう。



幸いにも、あの時のさわちゃんの体験記が手元にある。

そこには、悲痛な苦しみはなく、明るく爽やかなさわちゃんらしい、余裕すら感じる力強い文章である。


もし、病気に悩む方が読者の中にいらっしゃれば勇気づけになると思う。


「闘病日記」ではなく、「癌ダンス日記」と称して連載でお送りしよう!

  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 12:05Comments(0)癌ダンス日記

2008年10月22日

第2話 「人生最大の動揺」

2004年10月22日

「人生最大のアプセット(動揺)」


日頃から自分は健康だと思い、ほとんど病気知らずで生きてきた。

まさか「病気」で、人生の時間がストップするなんて事は夢にも思わなかった。


突然入院!と言われ、それも2~3ヶ月必要、言われ、すべての仕事を手放さなくてはいけない。

私にとっては病気がアプセットではなく、仕事が全くやれなくなる事の方がアプセットだった。



今まで、まさか人生にこういう事がおこるなんて、全く予想もしていなくて、これ位、時間がある、同じような明日が来ると、信じ込んで生きているのだ。

何がおきてもOK!とは生きていないことに直面する。


会話で自由にあらわす、これを100%生きる


ことがどんなに奇跡なことなのか。

そして、体も、時間も、現象もいつまでもあると、信じ込んでいることにどれ位不自由さがあるのか?!

ここへの、私の手放しであろう!

自分の人生におこることは、全て必然だとすると、今、私には、このすべての手放しを、コーチされているのであろう。

ここへ謙虚に、生きさせて、いただきます。

  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 13:52Comments(0)癌ダンス日記

2008年10月27日

第3話「入院第一日目」

2004年10月26日 「入院第一日目」

「平成16年10月25日」 生まれて初めての入院生活 が始まった。

全く違う環境に変わり、病院という名のカンゴクの様な所へ入ったと感じてしまう。

そんな、違和感を感じつつ診察が始まった。


    


その後、先生からの説明があらためて行なわれる。

これから検査される理由、そして、どんな病気なのかの説明、今後、手術と治療がどんな風にして行われるのか、話しが続く。

そこで私は、 「手術をしないで治ることはないのか?できれば手術をしたくない」と言った。

先生は、めんくらった様子で

「手術できるだけ、まだいい方だ」 と言う。

そんな会話がタンタンと行われ、会話が終わった。


先生達はビックリしている様子。

こんなにも、手術(病気への)することへの抵抗のなさや、

恐れがない、不安がないことが、不思議でしょうがないらしく、再度たずねて来るほどだ。


逆に聞いてみた。

「他の患者は、何を恐れているのか?」 と。


そうすると、 あるものがなくなることへの不安や恐怖であり、この先どうなるんだろうという生きることへの不安なのだ。


元々何もないはずの人生が、目に見える「有る」ということへの迷信に生きさせられている人間。

一番、しがみついている所だ。


私は幸せだと、あらためて思う。自分の中にも喜怒哀楽という感情はいくらでもある。ただ、不安や恐怖がない。


恐れは、未来が見えないことへのあらわれである。自分が創りだせることをマスターした今、この恐れはなくなった。


現実を受け入れ、そして、未来を創りだすことが、人間の極意だから。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 07:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年11月03日

第4話「病院って何をするところ?」

2004年10月28日

「病院って何をするところ?」


病院って何をするところだろうと、改めて考えさせられた。

それは食事のことからだ。病院の食事はおいしくないと思っていたが、ここまで
悪いとは、想像以上だった。


入院して1日目は、翌日の為の検査食だから、しょうがないとしても、その検査が
終わってから普通の食事にもどったが、まずくて食べられたものじゃない

2、3口食べてから食欲がわかなくなって来る位だった。


本来、病気を治すには、食べるものが基本になることは当たり前のことだ。
食べない限り体力も、気力もつかないが、現在の病院ではこれが現状だ。

食べるということより、やり方、方法で西洋医学の切ったり、薬を与えることにしか
目がいっていない。
本末転倒もはなはだしいと思ってしまう。


私達 田ぐり庵が食の革命といって、やってきた事がやっぱりものすごい使命が

あることだった。お弁当をやり始めた時も、薬づけの何日経っても腐らない食材にあぜんとした

事があったが、本当に人を健康にする、元気にする、生き生きとさせる、この

本来の人を生かす原点が食にある

本当に食べたいと思わせる食があってこそ医療が始まると、実感した。

全ての原点は食にありき


今、岩田屋のトディズレシピという仕事で情報提案として食に関わっていること、
田ぐり庵のリヴロンカレーで人間の健康革命をおこすと、立ち上がっている今、

この全ての必然に、大きくうなずいてしまう。


何も病院という特別な所でなく、本当に、人を元気にし、病すらも治す
可能は、全てが我々になれた所から始まる。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 07:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年11月10日

第5話 「入院第二日目」

2004年10月29日

「入院第二日目日記」

私はこの入院を何だか楽しんでいる様に思う。

それは、この入院生活を真実の目から見ると、どんな洞察が出来るか。
それが楽しみでしょうがない。

いよいよ2日目に入って、本格的な検査が始まった。

1つは腸内視鏡。

これは癌細胞が、直腸まで転移していないかの検査で、これは問題なし。

もう1つは膀胱鏡。

これは膀胱へ転移していないかの検査だ。

それは少々痛みもあって小さい針のような内視鏡を膀胱の中に入れて、検査するのだ。
転移はなかったが、 「ひとつ新しいものが発見されました。」と嬉しそうに医者が言う。

それはおへそから膀胱につながっていて、小さなコブみたいなものがある。これは人間は誰にでも
あるものだが、普通成長するにつれてなくなっていくらしい。それがハッキリと残ったままというのだ。
「精密に見ると、いろんなものがあるものだ。」と思いつつ、1日目の検査は終了。

この間に尿検査と言って、まる2日間検査用にとっておいたり、朝一番の尿を菌が入らない様に
とっておいたりと、少々めんどうな事をしっかりとやらないといけない。

体的には、癌とわかる前とわかった後も何も変わらないので、この入院生活が退屈で
たまらないと思えてしまい、少々この生活に慣れるのに時間がかかりそうだ。

自分の体と精密に向きあう。

これは私の人生では初めての事だ。熱を下げる為に病院に行ったりした事はあった。

以前社長が年に1回、目、体、歯と精密に検査していることをおっしゃっていたが、その重要性を
今、ひしひしと感じる。

体という現象にも、精密に向き合うことを、今決心させられている。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 07:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年11月17日

第6話「入院体験記 精密検査終了」

2004年11月1日

「入院体験記 精密検査終了」

いよいよ、検査も大詰めに入り、今日は薬の影響も考えられる、腎尿管造影
(腎臓から順調に尿がうまく流れているかの検査)と、M.R.I。

翌日にCTの検査だった。

よくいう、レントゲン写真の精密版だ。1枚の中に20cut分の影像が写っている。

いずれも初体験で興味津々に望んだが、その時その時必ず言われるのが、

「気分は悪くないですか?」

「不安はないですか?」

「気分が悪くなったらすぐに言って下さいね」

「一人で帰ってこれますか?」

この言葉で気分が悪くなくても、悪くなりそうだった。

そんな中私は、不覚にもM.R.Iの最中に、あの磁波が心地よく、眠ってしまった。

先生に起こされて終わったことを知る位だった。

まぁのんきなことだと自分でも思いつつ、結果が出た。

正式病名は子宮頚癌というものである。
普通子宮は卵位の大きさなのに、それに約6cmの癌細胞がくっついている状態だった。

段階を言うと、Ⅰ期にあたって、現在では転移は見られないとの事。

だけどあまりにも癌細胞が大きすぎるので、化学療法(抗ガン剤)で小さくしてから手術
をするという状態だ。

いよいよ始まる。西洋医学での精密さから、現在の事実が明らかになった。
そしてこの現象を治していくのは

会話が全てである。

会話が存在するからこそ、薬も生きて来る。

会話が無く、薬だけでは全く結果が違う。
これを今証明する使命が今自分にあると自覚している。

腫瘍サイズがここまで大きくなっていて、体の痛みや自覚症状がないことも
奇跡としかいいようがない。

ここまでことばで生まれる体験中だが、それをもっと深く肉体をも生まれ変わらせる
ことへの挑戦です。

  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 09:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年11月24日

第7話「入院体験記 初の抗ガン剤治療」

2004年11月12日

「入院体験記 初の抗ガン剤治療」

いよいよ、初の抗ガン剤治療が始まった。(11月2日)

朝9時からは薬の入っていない点滴が打たれ始める。

これは腎臓がうまく機能するかの為の点滴のようで、この間は座っていても、
動いていても大丈夫という事。

それから昼食を食べ、投薬の最中は眠らせる為に、安定剤を2錠。
これは1時と3時に分けて飲む事になっている。

だが、看護婦のミスで最初に2錠飲んでしまった。

そのせいかコロリと寝てしまって目覚めた時は投薬が終わって夕方6時の夕食で目が覚めた。

とてもおなかがすいていたので夕食をペロリと平らげてしまったが、ここからが副作用との戦い(?)が始まった。

それは吐き気だ。icon196

夕食はすぐに全部戻してしまった。

投薬の後は、薬をうまく巡回させる為の点滴が翌日の夕方6時頃まで続く。

この間ベットから一歩も動けず、おしっこもクダでとる始末だ。

初日の夕方6時頃までは元気よく調子もよかったが、それからが拷問だったなとつくづく思う。

食べるものは食べれず、吐き気には襲われる。

何が一番苦痛かと聞かれると、食べられないことだ。
食欲がわかないことが一番だ。

その他の点滴や薬は何ともないが、人が生きていく上で、本当に食べるということが、
どれだけ人の生き方に影響していることか
とつくづく思ってしまう。

今回の入院生活での私の闘いとあえていうなら、この食べる事への闘いの様に思う。

本社801号室の食事。

皆で会話しながら食べていた食事。

ここまで 会話の環境が、食することが重大だとは。。。

それを痛感した初の抗ガン剤治療だった。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年12月01日

第8話「自分の体(会話)とダンスする」

2004年11月15日

第8話 「自分の体(会話)とダンスする」

吐き気止めの薬を常備しながら、自分の体とのダンスが始まった。

投薬後4日目にはじめて、まともに食事が少しできる様になり、
思わず口にしたのが、福新楼のギョーザとカップめんのうどんだった。

無性に食べたくなって、社長達がお見舞いで持って来て下さったものだった。
ギョーザの肉汁が、体のすみずみまで染み渡っていく感覚がいまでもハッキリ残っている位だ。

今回私は、個室をとっていて、いつでも自由にコミュニケーションがとれる様にしている。

だから部屋にいても他の患者の人と話すということはほとんどない。

食事も部屋にもって来てもらえるのですべて部屋にいて過ごせるのだ。

だから、会話をするとするなら、看護師の人か先生か我々スタッフの仲間だ。

毎朝専務から「体の調子はどう?」と必ず一本の電話をいただく。

この一言(エネルギー)に癒されて、その日の状態を会話して自分の一日がスタートする感じだ。

だから吐き気も朝のうちだけに治まって来る。

朝、起きぬけは何ともいえない不快感で目は覚めるが、起きると思わず体の細胞が動き出す様で、
そこをうまく調整しながら体を目覚めさせていくのだ。

こんなにも、自分の体に神経をはらいながら朝、目覚めるのは、生まれて初めてのことだ。
この時に、自分のスーパーセルフメッセージがスタートする。

起き上がって半跏趺坐になってとはすぐにはいかないので、少しベットを起こしながら
それに寄りかかりながらのセルフメッセージだ。

お母さん、お父さん、皆さんと一段づつじっくりじっくり、自分の体と会話とダンスしながらの
セルフメッセージが始まる。

スーパー部だけでも30分~1時間位かかってしまうものだ。

でもここでは今、手を抜けない。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年12月08日

第9話「我々でいられることの感謝」

2004年11月16日

「我々でいられることの感謝」

私が入院をして約2週間がたった。

入院をする迄、自分が立場をとっていたものを、色んな人達に委任し、やってきている。

その中で経理のことは専務にお願いすると同時に、毎日の業務のほとんど柴田さんに依頼を
している。

彼女は、本社の上園さんが退社するとの事で、9月の初めから本社勤務になったが、
本来、上園さんの後を引き継ぐはずが、それ以上の経理的立場をとる様になって来ている。

そんな中、私の入院で毎朝入金状況から支払状況を細かく打ち合わせをし、全ての外部との
窓口をしてもらっている状況だ。

彼女は、確かにこの真実のことを理解している訳ではないと思う。
が、エネルギーとしては、すでに我々として生きてくれていることをつくづく感じる。

それは、この経済革命の今、次へのステップを踏む大チェンジの時に、
只ひたすらに一緒にいてくれている。

だから、お金という、一番直面する現実と、ダンスしてくれているのだ。

これはすごいことだ。

まったくわかっていない人が、ただ言われるままに作業としてやって、やれるか。
我々として立場をとらない限り、この現実には直面できないだろうと思っていたことが、行われている。

彼女から毎日届けられるものに皆のライトメッセージがある。

この皆のライトメッセージを読むと、自分のエネルギーがフーっと軽くなることを感じる。

これが我々の会話のエネルギーだろう。

毎日のメッセージに託されている我々や、人に向かってのエネルギーが、人を力づける意図が、
人のエネルギーを軽くしてくれる。

これが、どこにいても我々でいられることへの感謝として感ずる。

人が立場をとってくれることも、エネルギーが回流することも、

我々でないと実現しない。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年12月15日

第10話「週一回の行事」

2004年11月22日

「週一回の行事」 

毎週木曜日の午後2時頃、大学病院ならではの行事がある。

それは、教授・助教授が、自分の部下全てを引き連れての総回診だ。

初回は初めてでビックリした。

自分の見たことも無い先生達が、看護師長や、看護主任まで従えて約20人位が病室に入ってくる。

そしてやる事は、担当の医師についている、インターンの学生が病気の説明を、用紙に書いてあるものを
棒読みで読むだけだった。

毎回同じこの繰り返しで、一言も私との会話はないまま報告だけを聞き、終わるのだ。

この総回診の意味は何だろうと思ってしまった。

患者とは一言も話しをしない。ただデータを聞くだけであれば、そのデータはいつでも見れるものであるから、
この回診は意味が無い。

そして、約20名位ぞろぞろとくっついてくるのは、皆自分の勉強の為である。

どの行動一つとっても患者の為ではないことだけは確かだ。

病院という存在は、知れば知る程、実態がまる見えになってくる。

本来、西洋医学であれ、東洋医学であれ、病気を治すことが一番の目的だ。

それを遂行するのは、やっぱり人間と会話することが原点にある。

この会話がなければ、まるで一方的にやり方、方法でモルモットの様に、自分たちのデータ取りの為だけに
処置しているとしか思えないのだ。

すべてに人と出会うことが人間であり、これを見落としていることは、

人間としての仕事ではなく、

人間として生きることではなく、

人間そのものではなくなる

どこにいても、人を出会うことが、すべての問題をとくカギとなることを、あらためて実感する。
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記