スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2009年02月23日

第20話「体と会話する日々」

2005年1月6日

「体と会話する日々」

抗ガン剤治療の影響で、髪がだんだんと薄くなっていくことを感じながら、

なんとなくいやだなーと思う日々を過ごしている。

思った程は抜けていないので、なんとか過ごせているが、やはり薬の副作用を目の当たりにしてしまう。

もし私がこの真実に出会っていなければ、今どんな会話をしているだろうかとフッと想像する。

それはもう悲劇で大変だったかもしれない。

ましてや、冷静に自分の体と会話することなんか出来なかったはずだ。

良いも悪いもなく、ただ事実として、現象が見れるということは、とてもすごいことだ。

これを言うのは簡単だが、実際ここに生きれることは、神業かもしれないと思ってしまう程だ。

人間が生きるというのは、生きた屍でなければ様々な現象と出会うし、ましてや言葉に牛耳られている。

そこでこの言葉に牛耳られることなく、言葉を創りだせることをマスターすることが、

本来の生きる姿であろうと思う。

今、自分の体と会話し、ダンスが出来ることは、この上なく幸せだ。

絶望ではなく、可能が生まれるからだ。

髪が薄くなればなるはなるで、そのことと共にいる。

そして、日々進化を言葉で創りだすことが、全てと会話することと同じなのだと確信する。
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2009年02月16日

第19話「在宅医療の未来」

2004年12月27日

「自宅医療の未来」

巷では抗ガン治療に関しての研究が、いろいろと行われている。

この抗ガン治療の研究というが、これはいかに副作用をやわらげるかにかかっている様だ。

薬の中身のことでなく、副作用をとりのぞくにはどうしたらいいのかと!

ある研究では、遺伝子の状態で予防の薬を入れるとか、環境音楽を流すとかの方法が

開発されている様だ。

この方法ではほとんど変わらない位の結果でしかないと思う。

なぜならば、病院という環境が病気をつくりだしている事実から見ると、どこまで普通の

生活をしながら、抗ガン治療ができるかの開発をした方がいい。

老人医療でも在宅ケアの方が望ましいと言うが、これはすべてに通じる。

非日常の中で何の意図もなく生きる環境を与えられても、人間は退化するしかない。
それにどんな最高の薬を与えようとも、無意味になってくる。

今回自分の体験からすると、この在宅医療というのは、周りのサポートがあって初めて

成立するのだが、薬も治療方法がかわらなくても、ほとんどが病院にいないだけで、

体調も食欲も違う。

これが通常の仕事をしながらの治療であるならもっと違ってくるだろうと今、ヒシヒシと感じる。

医療がお金の為なのか、人類を救う貢献のものなのか

今、本気で見直す時がきているのかもしれない。

これが今、私が日々感じる提言なのだ。
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2009年02月09日

第18話「不良患者が優等生かも」

2004年12月26日

「不良患者が優等生かも」

ついに、私は病院の食事を全てキャンセルした。

毎日毎日、食べもしない食事を運ばれてきて、返す。

この繰り返しをやっていたが、全く意味のないことであり、そして、

「自分の主体によってやる」 という宣言でもあった。

だからおのずと、ほとんど病院にいない状態が創り出せる。

こういう患者は初めてであろう。 

まさに不良患者だ。

ほとんど寝る為だけに病院にいる状態で、昼間は外出して本社に戻り、休養をとり、

会話のある食事を楽しんでいた。

これが功を奏して、食欲が出るのだ

吐き気は止まらずとも、食べることへの意欲というか、執念というべきか、

看護師たちもびっくりする位の元気さなのだ。

病院、看護というものの常識は、病院側のみから見たものであろう。

こういう理想というか、やり方、方法からいけども、所詮やり方でしかないから、患者はついていけない。

その人の生きる力というか、意図というのは、自ら生きようとするエネルギーが全てを物語っている。

このエネルギーをどこまで高められるかということが、本来の病院の立場なんだと思う。

これは病院だけではないだろう。

会のルール、世間のしきたり、等々、人間がどう生きるかを見なくして、しきたりもルールも意味がない。

全ては、人がどう生きるかが原点なのだから。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2009年02月02日

第17話「現象・命ありが人間を苦しめる」

2004年12月24日

「現象・命ありが人間を苦しめる」

2度目の治療が始まって、最初の一週間ものすごい吐き気に襲われ、一晩中寝れない日々が続いた。

食べるものもほとんど入らず、吐けるものもないが、吐き気は止まらない。

この現象が何日も続くと、思わず自分の会話がふき出してくる。

私の母が癌になり、一旦は良くなったものの、数年後には再発し 今はもう亡くなってしまった事や、

自分の死に対する直面で、手放しでOKとはいかない恐怖というか あきらめの様な会話がふき出てきた。

どんなに頑張っても、自分の体ありのところから手放せられなかった

人間とは、現象あり、命ありというのはしぶとく内在するのだと実感した

これ以上一人で病室にいるのは危険だと思い、自宅へ戻った。

その晩、リーダーミーティングが行われた。

その中で、

今 田ぐり庵の中で働いているエネルギーと、今の自分の内話のエネルギーが連動していることを

実感すると共に、今ある自分をシェアした。

自分が命ありにのたうちまわっていることを。

それと同時に自分のリバースライフのエネルギーレベルの低さや、エネルギーの未熟さを痛感したのだった。

ただ、このシェアをしてから、自分のエネルギーがシフトしていることに気づく。

何か新しい薬を飲んでいる訳でもなく、逆に吐き気止めの薬をやめた方が調子がいいのだ。

これこそ、人間が会話によって生きているという証明でもある。

本気で自分の会話と直面し、会話することが人間の進化であり、現象を動かすのだと。

そして人間を殺すことは、現象・命ありにとっつかまること自体なんだ
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記