2009年02月09日
第18話「不良患者が優等生かも」
2004年12月26日
「不良患者が優等生かも」
ついに、私は病院の食事を全てキャンセルした。
毎日毎日、食べもしない食事を運ばれてきて、返す。
この繰り返しをやっていたが、全く意味のないことであり、そして、
「自分の主体によってやる」 という宣言でもあった。
だからおのずと、ほとんど病院にいない状態が創り出せる。
こういう患者は初めてであろう。
まさに不良患者だ。
ほとんど寝る為だけに病院にいる状態で、昼間は外出して本社に戻り、休養をとり、
会話のある食事を楽しんでいた。
これが功を奏して、食欲が出るのだ。
吐き気は止まらずとも、食べることへの意欲というか、執念というべきか、
看護師たちもびっくりする位の元気さなのだ。
病院、看護というものの常識は、病院側のみから見たものであろう。
こういう理想というか、やり方、方法からいけども、所詮やり方でしかないから、患者はついていけない。
その人の生きる力というか、意図というのは、自ら生きようとするエネルギーが全てを物語っている。
このエネルギーをどこまで高められるかということが、本来の病院の立場なんだと思う。
これは病院だけではないだろう。
会のルール、世間のしきたり、等々、人間がどう生きるかを見なくして、しきたりもルールも意味がない。
全ては、人がどう生きるかが原点なのだから。
「不良患者が優等生かも」
ついに、私は病院の食事を全てキャンセルした。
毎日毎日、食べもしない食事を運ばれてきて、返す。
この繰り返しをやっていたが、全く意味のないことであり、そして、
「自分の主体によってやる」 という宣言でもあった。
だからおのずと、ほとんど病院にいない状態が創り出せる。
こういう患者は初めてであろう。
まさに不良患者だ。
ほとんど寝る為だけに病院にいる状態で、昼間は外出して本社に戻り、休養をとり、
会話のある食事を楽しんでいた。
これが功を奏して、食欲が出るのだ。
吐き気は止まらずとも、食べることへの意欲というか、執念というべきか、
看護師たちもびっくりする位の元気さなのだ。
病院、看護というものの常識は、病院側のみから見たものであろう。
こういう理想というか、やり方、方法からいけども、所詮やり方でしかないから、患者はついていけない。
その人の生きる力というか、意図というのは、自ら生きようとするエネルギーが全てを物語っている。
このエネルギーをどこまで高められるかということが、本来の病院の立場なんだと思う。
これは病院だけではないだろう。
会のルール、世間のしきたり、等々、人間がどう生きるかを見なくして、しきたりもルールも意味がない。
全ては、人がどう生きるかが原点なのだから。
Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00│Comments(0)
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