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2009年01月19日

第15話「我々家族の愛」

2004.11.30

「我々家族の愛」

私の病気が発覚してから約40日が過ぎようとしている。

そして第一線から退いて、治療に専念させてもらっている。

この日々を通して、今実感していることがある。

それは我々家族の愛だ。

血の繋がった家族以上の愛を感じる。(姉もよくサポートしてくれていると思っているが。)

毎日のように「具合はどう?」と気をかけてもらい「食事は?」と気遣ってもらい

子供が親に面倒を見てもらっているようなものだ。

以前の自分であれば、仲間として仕事をしていて 全く仕事が出来なければ、

どこか仲間でなくなるといった差別に生きていたのかもしれない。

逆に、これまで生きてきた自分は《自分が》に命がけだったのかもしれない。

《自分が》という傲慢に生きてきたように思う。

自分が立場をとるというのは、本物の我々になるということなのだとしみじみ思う。

この我々のエネルギーを実感しているのだ。

最近本社でのミーティングが連日行われ、そこに一緒にいさせもらい、どの立場にいようと

私達がどこに向かい、何を意図しているのか、それは変わらないのだと、

私達の仕事は何かの原点に立ち戻らせてくれる。

生きていく為のお金をかせぐ為の仕事ではない

本物の我々家族を創りだすことが、私達の仕事なのだと!!



社長や専務に頭が下がる思いで、感謝しています。

仲間の皆の愛に支えられていることに感謝しています。

そして、今、この病気になったことに感謝している。

自分の見えなかったことに目を向けられていることに。
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2009年01月12日

第14話「私は病人にならない」

2004年11月28日

第14話 「私は病人にならない」


病院にいると、患者はすべて病人だ。

いわゆる病をもった人だ。

確かに、治療やケアをすることは大事だが、なにも病人にならなくてもいいのではと思う。

私は 前にも書いた様に、病院にいるだけて病人になってしまうので、極力外出を許可してもらっていた。

その会話を先生と重ねてきたことで、3回目の投与の翌日には退院の許可がおりた。

これは異例な事の様で、投与後 あまりにも元気だったからだ。

一刻も早く退院することで、自主管理のもとでケアをする事を決めていた。

次回の時も投与の時だけ入院しようと決めている。通い治療の様なものだ。

最初は2~3ヶ月はずっと入院する様にと医者からは言われた。

そうしなければ治療は出来ないと。

ただ医者の言うことが100%ではない。

やり方、方法ではプロかも知れないが、どう生きるかということでは自分が人生のプロとしての責任がある。

そこから見れば病人ではなくなる

確かにガンという病をもっているが、ただそれだけだ

社長が不整脈を持っているが、病人ではないことと同じなのだ。

このガンを治すことは、100%取り組むが、

病人にはならないと決めた

この退院した日は、田ぐり庵の7周年記念日であり、長井社長の誕生日でもあった。(11月18日)


この見えない深い意図が、奇跡をおこしたとも言える。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2009年01月05日

第13話「吐き気を克服する」

2004年11月27日

第13話 「吐き気を克服する」


11月17日、3度目の抗ガン剤の投与の日だった。

前回の2度目と同じで、1日で終わるものだったが、少し創作をしてみた

投与をする時に、ただじっと寝ているのではなく、軽く仕事をしながら(軽くワープロを打つ)やってみた。

自分の会話をチェンジする為だ

自分が病人と思い、ただ受身でいる事より、自分が意図を創り、集中するものを創作したのだ

病人という会話を創れば、本当に病人になってしまう恐ろしさを実感する。

そこで、吐き気に対して自分のひらめきicon12がおきた。

この3度目の投与の前に外泊をした時、以前の生活のリズムで夜遅くまで起きていた。

私の食事のリズムが(入院する以前)第1回目が午後2時前後、2回目が夕方7時前、3回目が

夜中の12時頃といった具合で動いていた。

思わずこの外泊の時の様に夜中の食事をしたら、翌日に吐き気がなかった!

久しぶりの朝の爽快感だった。

もしかすると、病院のリズムで、夜6~7時頃食事をしてから朝まで何も食べなかったことが、

逆に朝の吐き気を引き出していたのかもしれない。

あまりにも空腹すぎて吐き気になったかもと思った。

それからは、投与をした後でも一切吐き気が止まったのだ!

確かに投与後は、若干胃のあたりが重たくも感じたが、吐き気まではならなかった。

この喜びはひとしおだった。

自分の会話がチェンジするだけで副作用すらも変えられる事が、うれしかった。

会話だけでなく、会話に伴う行動として、寝る前まで満腹状態を創ることもやった。

確実に、自分の会話で病気の治療をリードできはじめてきたのだ。

これが会話者としての在り方だと心している。


  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年12月29日

第12話「命ありにしがみつく珍客あり」

2004.11.25

「命ありにしがみつく珍客あり」

病気というものは不思議なものだ。

ぱったりと音信が途絶えた人が、何かを聞きつけて、寄って来るからだ。

私達 田ぐり庵 が弁当屋宣言をした時に、その前後かで去って行き、それからは

結婚をし、子供も生まれ、何一つ連絡のなかった人が、私がガンだと聞きつけてお見舞いに来たのだ。

私には、嬉しくもないお見舞いであり、何の為に来たのか、不思議でしょうがなかったから、ストレートに会話をした。

「本当の目的は何?」

と聞くと、

「幸和ちゃんが好きだから。」なんてことを言う。

思わず私は、「よくそんな事を言えるよね!今まで何の連絡もなく、我々として生きてきて、

自分のやってきた事や、我々に対して、後ろ足でドロをひっかけるようなことをしていて、病気になったとたん、

好きだからって言って、受け取れる訳がないでしょ!」

と言った。

彼女は苦笑いをしていたが、本当の目的は違うようだ。

健康食品の営業であることは、明らかにわかる。

以前我々から離れていった人達で、この人脈を利用し、今も活動があるようだ。

そして、この健康食品というのは、人の命にしがみついた最たるものだ。

確かに、食べるもので体という肉体はつくられる。そして、その会話がつながっていくのは人間関係しかない。

この人間関係を無視した会話は利用でしかない

我のお金の為

我の出世の為

我の生存の為でしかない。

病気というものは、全てにおいて、世間の会話を引き寄せる

宗教、お金、命、人間がどこまで命なしに生きれるか。

現象なしに生きれるか。


御修行させられていると実感する。
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年12月22日

第11話「2度目の抗ガン治療」

2004年11月24日

「2度目の抗ガン治療」

1クールの2度目の抗ガン治療の日が来た。

2度目は、1度目とは違い、1日で終わるもので、比較的楽な状態で治療は終わった。

この抗ガン治療は、抗ガン剤投与自体は楽で、何の苦痛もないが、その後に全てやって来る

これが副作用と言うべきか、薬が効いているというべきかのものだけど、とても体的にはきついものだ。

この頃から、食べれないせいで体重がグンと減り、入院当時からすると、4kg位落ちてしまった。

そのせいか動くこともきつく感じることも多くあり、なおさら気が滅入ってしまった。

翌日にはもう病院から出て行きたくなって、
病院にいるだけで、本当に病人になってしまうことを体感せざるをえなかった。

これは、自分でも危険と感じ、こうも体力が落ちたのでは治るものも治らなくなると思い、

先生と話し、外出許可をもらった。

この外出許可の件でも、何の為のルールかわからないことがでてきたが、

普通では、1週間に1泊2日までしか外出、外泊は出来ないとのことだが、

私は治療の翌日からずっと毎日午後、外出許可をもらい、とにかく食べることへの、意欲を創った。

普通の人であれば、これが病院のきまりとあきらめ、病院の言うがままにして、

薬漬けになっていくのであろうと思うが、

私は自分の体には、自分で責任をとるという、意図があるので、とにかく先生や看護師に、

これ以上病院にいてもマイナスはあってもプラスはない と言い切り、

とにかく、自分の体力を、自分でつけてくる!と言い続けた。

外出することは、環境も会話も変わってくることで、自分自身の意図を創作することへの

重大なポイントになった。

  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年12月15日

第10話「週一回の行事」

2004年11月22日

「週一回の行事」 

毎週木曜日の午後2時頃、大学病院ならではの行事がある。

それは、教授・助教授が、自分の部下全てを引き連れての総回診だ。

初回は初めてでビックリした。

自分の見たことも無い先生達が、看護師長や、看護主任まで従えて約20人位が病室に入ってくる。

そしてやる事は、担当の医師についている、インターンの学生が病気の説明を、用紙に書いてあるものを
棒読みで読むだけだった。

毎回同じこの繰り返しで、一言も私との会話はないまま報告だけを聞き、終わるのだ。

この総回診の意味は何だろうと思ってしまった。

患者とは一言も話しをしない。ただデータを聞くだけであれば、そのデータはいつでも見れるものであるから、
この回診は意味が無い。

そして、約20名位ぞろぞろとくっついてくるのは、皆自分の勉強の為である。

どの行動一つとっても患者の為ではないことだけは確かだ。

病院という存在は、知れば知る程、実態がまる見えになってくる。

本来、西洋医学であれ、東洋医学であれ、病気を治すことが一番の目的だ。

それを遂行するのは、やっぱり人間と会話することが原点にある。

この会話がなければ、まるで一方的にやり方、方法でモルモットの様に、自分たちのデータ取りの為だけに
処置しているとしか思えないのだ。

すべてに人と出会うことが人間であり、これを見落としていることは、

人間としての仕事ではなく、

人間として生きることではなく、

人間そのものではなくなる

どこにいても、人を出会うことが、すべての問題をとくカギとなることを、あらためて実感する。
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年12月08日

第9話「我々でいられることの感謝」

2004年11月16日

「我々でいられることの感謝」

私が入院をして約2週間がたった。

入院をする迄、自分が立場をとっていたものを、色んな人達に委任し、やってきている。

その中で経理のことは専務にお願いすると同時に、毎日の業務のほとんど柴田さんに依頼を
している。

彼女は、本社の上園さんが退社するとの事で、9月の初めから本社勤務になったが、
本来、上園さんの後を引き継ぐはずが、それ以上の経理的立場をとる様になって来ている。

そんな中、私の入院で毎朝入金状況から支払状況を細かく打ち合わせをし、全ての外部との
窓口をしてもらっている状況だ。

彼女は、確かにこの真実のことを理解している訳ではないと思う。
が、エネルギーとしては、すでに我々として生きてくれていることをつくづく感じる。

それは、この経済革命の今、次へのステップを踏む大チェンジの時に、
只ひたすらに一緒にいてくれている。

だから、お金という、一番直面する現実と、ダンスしてくれているのだ。

これはすごいことだ。

まったくわかっていない人が、ただ言われるままに作業としてやって、やれるか。
我々として立場をとらない限り、この現実には直面できないだろうと思っていたことが、行われている。

彼女から毎日届けられるものに皆のライトメッセージがある。

この皆のライトメッセージを読むと、自分のエネルギーがフーっと軽くなることを感じる。

これが我々の会話のエネルギーだろう。

毎日のメッセージに託されている我々や、人に向かってのエネルギーが、人を力づける意図が、
人のエネルギーを軽くしてくれる。

これが、どこにいても我々でいられることへの感謝として感ずる。

人が立場をとってくれることも、エネルギーが回流することも、

我々でないと実現しない。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年12月01日

第8話「自分の体(会話)とダンスする」

2004年11月15日

第8話 「自分の体(会話)とダンスする」

吐き気止めの薬を常備しながら、自分の体とのダンスが始まった。

投薬後4日目にはじめて、まともに食事が少しできる様になり、
思わず口にしたのが、福新楼のギョーザとカップめんのうどんだった。

無性に食べたくなって、社長達がお見舞いで持って来て下さったものだった。
ギョーザの肉汁が、体のすみずみまで染み渡っていく感覚がいまでもハッキリ残っている位だ。

今回私は、個室をとっていて、いつでも自由にコミュニケーションがとれる様にしている。

だから部屋にいても他の患者の人と話すということはほとんどない。

食事も部屋にもって来てもらえるのですべて部屋にいて過ごせるのだ。

だから、会話をするとするなら、看護師の人か先生か我々スタッフの仲間だ。

毎朝専務から「体の調子はどう?」と必ず一本の電話をいただく。

この一言(エネルギー)に癒されて、その日の状態を会話して自分の一日がスタートする感じだ。

だから吐き気も朝のうちだけに治まって来る。

朝、起きぬけは何ともいえない不快感で目は覚めるが、起きると思わず体の細胞が動き出す様で、
そこをうまく調整しながら体を目覚めさせていくのだ。

こんなにも、自分の体に神経をはらいながら朝、目覚めるのは、生まれて初めてのことだ。
この時に、自分のスーパーセルフメッセージがスタートする。

起き上がって半跏趺坐になってとはすぐにはいかないので、少しベットを起こしながら
それに寄りかかりながらのセルフメッセージだ。

お母さん、お父さん、皆さんと一段づつじっくりじっくり、自分の体と会話とダンスしながらの
セルフメッセージが始まる。

スーパー部だけでも30分~1時間位かかってしまうものだ。

でもここでは今、手を抜けない。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年11月24日

第7話「入院体験記 初の抗ガン剤治療」

2004年11月12日

「入院体験記 初の抗ガン剤治療」

いよいよ、初の抗ガン剤治療が始まった。(11月2日)

朝9時からは薬の入っていない点滴が打たれ始める。

これは腎臓がうまく機能するかの為の点滴のようで、この間は座っていても、
動いていても大丈夫という事。

それから昼食を食べ、投薬の最中は眠らせる為に、安定剤を2錠。
これは1時と3時に分けて飲む事になっている。

だが、看護婦のミスで最初に2錠飲んでしまった。

そのせいかコロリと寝てしまって目覚めた時は投薬が終わって夕方6時の夕食で目が覚めた。

とてもおなかがすいていたので夕食をペロリと平らげてしまったが、ここからが副作用との戦い(?)が始まった。

それは吐き気だ。icon196

夕食はすぐに全部戻してしまった。

投薬の後は、薬をうまく巡回させる為の点滴が翌日の夕方6時頃まで続く。

この間ベットから一歩も動けず、おしっこもクダでとる始末だ。

初日の夕方6時頃までは元気よく調子もよかったが、それからが拷問だったなとつくづく思う。

食べるものは食べれず、吐き気には襲われる。

何が一番苦痛かと聞かれると、食べられないことだ。
食欲がわかないことが一番だ。

その他の点滴や薬は何ともないが、人が生きていく上で、本当に食べるということが、
どれだけ人の生き方に影響していることか
とつくづく思ってしまう。

今回の入院生活での私の闘いとあえていうなら、この食べる事への闘いの様に思う。

本社801号室の食事。

皆で会話しながら食べていた食事。

ここまで 会話の環境が、食することが重大だとは。。。

それを痛感した初の抗ガン剤治療だった。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)癌ダンス日記

2008年11月17日

第6話「入院体験記 精密検査終了」

2004年11月1日

「入院体験記 精密検査終了」

いよいよ、検査も大詰めに入り、今日は薬の影響も考えられる、腎尿管造影
(腎臓から順調に尿がうまく流れているかの検査)と、M.R.I。

翌日にCTの検査だった。

よくいう、レントゲン写真の精密版だ。1枚の中に20cut分の影像が写っている。

いずれも初体験で興味津々に望んだが、その時その時必ず言われるのが、

「気分は悪くないですか?」

「不安はないですか?」

「気分が悪くなったらすぐに言って下さいね」

「一人で帰ってこれますか?」

この言葉で気分が悪くなくても、悪くなりそうだった。

そんな中私は、不覚にもM.R.Iの最中に、あの磁波が心地よく、眠ってしまった。

先生に起こされて終わったことを知る位だった。

まぁのんきなことだと自分でも思いつつ、結果が出た。

正式病名は子宮頚癌というものである。
普通子宮は卵位の大きさなのに、それに約6cmの癌細胞がくっついている状態だった。

段階を言うと、Ⅰ期にあたって、現在では転移は見られないとの事。

だけどあまりにも癌細胞が大きすぎるので、化学療法(抗ガン剤)で小さくしてから手術
をするという状態だ。

いよいよ始まる。西洋医学での精密さから、現在の事実が明らかになった。
そしてこの現象を治していくのは

会話が全てである。

会話が存在するからこそ、薬も生きて来る。

会話が無く、薬だけでは全く結果が違う。
これを今証明する使命が今自分にあると自覚している。

腫瘍サイズがここまで大きくなっていて、体の痛みや自覚症状がないことも
奇跡としかいいようがない。

ここまでことばで生まれる体験中だが、それをもっと深く肉体をも生まれ変わらせる
ことへの挑戦です。

  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 09:00Comments(0)癌ダンス日記